2011年11月19日土曜日

ライカその2 「M6」でライカにはまる

ライカM6
海外でのスナップ撮影でレンジファインダーカメラの魅力を知った僕は、それから「ミノルタCLE」を仕事で使い始めた。
ところで、本家のライカは当時どうだったのだろう。

当時のライカは日本製一眼レフカメラに完全に市場を奪われ惨憺たる状況にあった。レンジファインダーカメラは「ライカM4-P」というM4のファインダーに28ミリを加えたカメラが製造コストの安い「CANADA」で作られていた。順番としては
M3に始まり、広角ファインダーを組み込んだ
M2が続き、M3とM2を足して使いやすさを向上した
M4があり、大きさはそれまでのMシリーズより大幅に大きくなってしまったが「露出計が内蔵された」
M5があり、さらにミノルタの協力でコンパクトに仕上げた
CLが続き、しかし安価で高性能の日本製一眼レフに市場を奪われ、人気は回復できずライツ社は売却され、露出計を省き製造コストを下げた
M4-2が販売され、カナダ工場で
M4-Pが製造されるといった状況だった。

本格的に仕事で使うにはボディが2台必要だ。1台メイン、1台予備。あるいは広角と望遠用に各1台、という使い方をするからだ。
しかし露出計の内蔵されていない「ライカM4-P」を買う気にはなれず、欲しいレンジファインダーカメラは見あたらなかった。
レンジファインダーカメラは一眼レフほど目立たないので、仕事以外でのスナップ撮影をするのに向いている。スナップ撮影の場合相手に気付かれないよう、風のように撮影するのが極意だ。
露出計の入っていないM4-Pでは厳密な露出が求められるカラーポジは撮影できない。

MADE IN GERMANY
そんなライカ社の巻き返しが1984年に発売になった「ライカM6」だった。
M4-Pと大きさは変わらず、露出計を内蔵した。M5が露出計が内蔵された最初のM型ライカだが、露出計のせいで大きさが大きくなってしまい『弁当箱』と揶揄され不評をかった。製造もドイツに戻したM6の前評判は好評で、ライカファンにすぐに受け入れられた。
日本での販売価格397、000円
品薄で、発売された1984年に僕は実物を見ることはできなかった。

翌1985年、オランダでの撮影の依頼を受けた。オランダ政府観光局とKLMとのタイアップで雑誌8ページでのオランダの観光ガイドだった。
一週間の予定で現地滞在5日間
最初の2日間はアムステルダム市内で運河や広場、ゴッホ美術館やアンネフランクの家などを撮影した。メインカメラはニコンF3だが、この時もミノルタCLE に28ミリをつけて常時携行していた。アンネフランクの家は「狭い隠れ家に2年間も暮らした」と聞いていたので超広角の20ミリを用意して撮影に臨んだが、意外と広い。家の実家より広い。悲しくも日本人がいかに狭いウサギ小屋に住んでいるかを実感した。3日目は風車で有名なザーンセスカンス、4日目はデルフト焼きのデルフトに足を伸ばした。ここまでは観光局のガイドの案内があったが、最終日は予備日でフリーになった。編集者と二人でアムステルダム市内をぶらぶら歩きながらスナップをしていると大きなカメラ店があり、のぞいてみるとそこに「ライカM6」があった。
店をいったん出て近くのカフェで休憩しながら悩んだあげく、編集者をカフェに残したまま急いでカメラ店に戻り
ライカM6を買ってしまった。
確か免税で300、000円くらいだったと記憶している。
 そしてこの時の撮影料は8ページで200、000円だったと思う。
急いで編集者を待たせているカフェに戻り、CLEに付けていた28ミリ をM6に付けてライカ初ショットをアムステルダムで撮影した。

この構造がフィルム交換を難しくしている。
ホテルの部屋に帰ってじっくりライカを観察した。
先ずフィルムの装填が難しい。歩きながら、立ったままではとてもフィルム交換は出来ない。少し慣れてからもフィルム交換をなんどか失敗した。
シャッター音は秀逸だ。
ミノルタCLEのシャッター音が小さいと思っていたが、さらに小さい。
ニコンの一眼レフが「カシャーンッ」だとすると、
ミノルタCLEは「カシャ」で、ずいぶん小さいと思っていた。ところが本家の
ライカM6は「コト」っとシャッターが切れる。
これが本当のライカなのかとその夜はフィルムを詰めずにシャッターばかり切っていた。
1/30以下になると小さく「シャンシャン」と内部でスローガバナーの音が聞こえるのもたまらなくいい音だ。
フィルムを詰めずにシャッターを切る。ライカ好きにとってたまらない時間である。
ファインダーはでかい。
ファインダーの善し悪しは金額で決まってくるらしい。内部にプリズムやガラスが詰まっていると画像が大きく見やすいファインダーが出来るが、金額的には高くなる。
この高価でガラスが詰まったファインダーがライカの売りである。
ライカはレンズを交換すると自動的にファインダーフレームが切り替わる。50ミリを付けると50ミリのフレーム。28ミリを付けると28ミリにフレームが「 」こんな形で現れる。
しかし、ミノルタCLE用の28ミリを付けても、35ミリのフレームが現れる。
Mマウントは共通だがこの辺が完全互換ではないところである。

さて日本に帰ってから、僕はライカ、ミノルタセットでモノクロインタビューのほとんどの仕事をするようになった。
レンズはミノルタの28、40,90ミリの3本のみ。
念のためニコン一式を用意してはいたが、ほとんどが車に積みっぱなしで出番がなかった。

そしてしばらくして、仕事がファッション撮影や表紙撮影にシフトして徐々にライカの出番が減っていった。

その後何年かして、あることがきっかけになり僕のライカ熱がぶり返す。
そしてついに、『ライカを全部揃える』 暴挙にいたるくだりは、
次回以降に・・・。

2011年11月6日日曜日

ライカその1 僕の「ライカ夜明け前」

カメラブログをここまで書いてきて、まだ「ライカ」が出てきていない。これは大変、片手落ち。
そんなわけで、今回はライカの話。

前にも書いたが、僕がカメラマンになった30年ほど前は広告系カメラはハッセルブラッド、報道系カメラはライカというのがまかり通っていた時代。
僕もカメラマンになってすぐハッセルブラッドを手に入れたのは以前に書いた通り。
「ハッセルは仕事で使うけど、ライカは仕事では使えない。」と、ライカには全く興味がなかった。

カメラマンになって1年ほど過ぎて、安定的に仕事が入ってくるようになって経済的に余裕が出てきた頃、ちょっと気になるカメラがあった。
「ミノルタCLE」
ミノルタはライカと提携していて、それ以前に「ライツ ミノルタCL」という小型カメラをだしている。レンズ交換可能のレンジファインダーカメラで、マウントはライカMマウント。
しかしこのカメラは40ミリと90ミリが供給されていてそれ以外のレンズは基本的に使えない(本当は50ミリなどがつかえる)。
新たに発売になった「ミノルタCLE」は28ミリ、40ミリ、90ミリが供給されていて何れもライカMマウント。値段はレンズ3本とボディをセットにしても20万円ほどで、ライカのレンズ1本の値段でCLEがシステムで揃う。
今で言う「がんばった自分へのご褒美」として、一式購入したのが僕のライカの始まり。

もちろん「ミノルタCLE」はライカではない。
しかしレンジファインダーはライカ仕込みのとても明るく見やすい物で、一式揃えても普通のバッグに収まるコンパクトさが気に入った。
当時は普通のコンパクトカメラでもCLEと同じくらいの大きさがあった。コンパクトな上にレンズ交換式、まずはスナップ撮影で試し撮り。
しかし、使ってみるとちょっと違和感を感じた。
高校生になって初めて使ったカメラがペンタックスSP、以来ニコンF2、ニコンFE等一眼レフしか使ったことがない。一眼レフは撮影する状態がファインダーで見える。ピントがぼけていればファインダーでもボケて見える。レンジファインダーは中央の二重像のズレでピントを合わせる。中央部をうっかり見逃すとピンぼけでシャッターを切ってしまうことがある。これに慣れるのにしばらくかかった。
別の例えでレンジファインダーを説明すると、雑誌を丸めて筒状にして遠くを見る。まわりが見えないで筒の中だけが見えるので、見ている物に集中できる。これが一眼レフ。
親指と人差し指で L を作って両手で四角を作って画角を確かめる 「 」 これがレンジファインダー。全体が見えていて写る場所がカギカッコで囲まれる。まわりの状況も見えるからスナップ撮影に向いている。
さらに一眼レフとの違いは音の小ささ。一眼レフはミラーが上がって、シャッターが切れて、ミラーが降りる。一連の音が「カシャーンッ」と響く。レンジファインダーカメラはミラーがないので「カチャッ」と小さい。これもスナップ撮影に向いている。
なんどかテスト撮影をしてフレームの曖昧さや、露出の加減などを把握した頃「がんばった自分へのご褒美」で [Paris] に一週間一人旅に出かけた。
荷物はなるべく減らしたい。写真は精力的に撮りたい。ぴったり合うのが「ミノルタCLE」。

ロッコール90ミリF4
初めて行くパリのメインの目的は アンリ・カルティエ=ブレッソン のような「決定的瞬間」の写真を撮ること。メトロに乗りビュスに乗り5日間パリ周辺をスナップして廻った。

もう一つの目的はフランス製三脚「ジッツォ」を安く買うことだった。パリの比較的中心部にあるフォーラム・デ・アールにある「Fnac」という日本のYドバシカメラのような店に行ってみたが、日本のようにサンプルがおいてない。カウンターで頼むと店の奥から商品をだしてくるシステムのようだ。カウンターで「ジッツォ シルブプレ」と言ってみた。通じない。
「トライポッド」と英語で言ってみた。通じない。
フランス語で三脚のことを何というのかわからない。指三本を下に向けて「スリーレッグ」と言ってみた。
するとジッツォの写真付きカタログをだしてくれた。やっとカタログを指で指し、目当てのジッツォを買うことが出来た。たぶん日本で5万円位の物が3万円程で買えたと思う。ただし、帰りが大荷物になってしまった。

5日間で36枚撮りのポジフィルム30本ほどを撮影し、すっかりCLEは身体の一部になり、風のようにスナップが撮れるようになっていた。

しかしビックリしたのはそれからだ。
帰国して全てを現像して上がりをルーペでのぞいてみてビックリした。
写真に立体感がある。
ロッコール28ミリF2.8
一眼レフの28ミリでは見たこともない立体感が出ていて「これがレンジファインダーカメラなのか」と納得した。
レンジファインダーカメラと、一眼レフカメラではボディの構造だけでなくレンズに大きな違いがある。特に広角レンズに関しては全くレンズ構成が異なる。
たとえば、焦点距離28ミリとはレンズ構成の中心部からフィルムまでの距離のことである。これが小さくなると写る範囲が広くなる。28ミリとなるとレンズがボディ内部にめり込んだ形になる。レンジファインダーカメラなら何の問題もない。ところが一眼レフになるとボディ内部にはミラーがあるためレンズを内部にめり込ませることが出来ない。そこで、広角レンズではない標準レンズの前に強い凹レンズを置いて内部にめり込まない広角レンズを構成している。これをレトロフォーカスといったり、逆望遠型といったりする。
僕は常に逆望遠型広角レンズで撮影していて、本当の広角レンズを知らなかったのだ。

それから、僕は仕事でも積極的にCLEを使うようになった。特にモノクロ インタビュー物での出番が多くなった。インタビュー中を90ミリで、決めカットで40ミリと28ミリを使う。
暗室で8×10にプリントしていると写真の立体感に満足でき、プリント作業が楽しくなった。

そして、「これがライカの良さ」と思って満足していた僕は、後に本物のライカを手に入れてさらに驚きの世界に引き込まれて行くことになる。