2011年6月27日月曜日

あこがれのカメラ  「Hasselblad」その1

あこがれのカメラ 「Hasselblad」

 僕が学生の頃は「報道系カメラの最高峰」=ライカ
「広告系カメラの最高峰」=ハッセルブラッドだった。
僕は写真学科の学生の頃から軟弱、お気楽を目指していたので、「戦場に行ってこの悲惨な実情を世界に知らしめよう」などとは一度も思ったことがなかった。中には「ライカでグッドバイ」の沢田教一や「ちょっとピンぼけ」のロバート・キャパのように「戦争の悲惨さを世界に伝えるような影響力のある写真を撮りたい」と言う友達もいたが、僕は「雑誌で女の子の写真をたくさん撮って、本を閉じたら忘れてしまう」そんな影響力のない写真を撮りたいと思っていた。

 そんな僕が卒業後アシスタントについたのが雑誌「non・no」でファッションを撮っているカメラマンU師匠だった。
そのU師匠が使っていたカメラが、ロケではライカ、スタジオではハッセルブラッドだった。
この二つのカメラの大きな違いは、ライカは35ミリフィルムを使うドイツ製の小型カメラで「レンジファインダーカメラ」の代名詞になっている。U師匠が使っていたのはライカフレックスで、これはライカであっても報道で使うようなカメラではない(このライカに関しては近々詳しく書く)。
ハッセルブラッドはブローニーフィルムを使うスウェーデン製 6×6(ロクロク)カメラでライカに比べると機動性がなくスタジオで三脚に付けて使う中判カメラだ。
ブローニーフィルムというのは幅が6cm(35ミリフィルムは文字通り、幅35ミリ)のフィルムで、カメラによって645、6×6、6×7といろいろなサイズで撮影できるフィルムである。フィルムは遮光紙と一緒にリールに巻いてあり、撮影が終わると遮光紙をシールで貼って止める。

 このハッセルブラッド [ Hasselblad ] が今回のテーマ。
ハッセルブラッドはシステムカメラになっていて、レンズ、ボディ、ファインダー、フィルムマガジンを自由に組み合わせて使うカメラである。

レンズ、ボディ、マガジン、ファインダー





さらにバラすと





 
 
















 アシスタントになって真っ先に苦労したのがハッセルのフィルム交換だった。6×6のハッセルはフィルム1本で12枚しか撮影できない。1本撮影するとフィルムを詰めたマガジン交換をする。この交換をするのがチーフアシスタントの仕事。セカンドアシスタントで新人の僕は、撮影済みのフィルムをマガジンから抜き取り、シールをなめてフィルムを封印し、シールに撮影番号を記入し、次のフィルムを装填しチーフに渡す。だいたい3つのマガジンをローテーションで使うが、フィルムが間に合わないと撮影が中断してしまい、師匠に怒られるため必死での交換作業になる。
U師匠は八王子生まれだが、フランスに何年か住んでいたことがあり、日常会話に時々『サバ!』などとフランス語が混じる。特に撮影中調子がいいと「いいね、いいね」が「Good,Good」になり、さらに「Bien Bien」が始まる。Bienはフランス語で、いいね!と同じ意味だが、この「ビアン、ビアン」が始まるともう止まらない。「ビャンビャンビャンビャンビャンビャンビャンビャンビャン・・・・・」と訳がわからないことを言いシャッターを押しまくる。そのビャンビャンに対応できるスピードでフィルムを交換しなくてはならないのだ。
35ミリフィルムカメラだと、36枚の撮影が終わるとフィルムを巻き戻して次のフィルムを詰めるので、ここで時間がかかって撮影が中断してしまう。ハッセルのマガジン交換のほうが途切れることなく撮影が継続できる。これがハッセルの利点でもある。

「今日もビャンビャンが出て調子がいいね!」等と編集者がつぶやく日には、 ビャンビャンのスピードで1日100本ものフィルム交換をしなくてはならない。セカンドアシスタントの僕はフィルムの封印シールをなめ続けるため舌がヒリヒリしてくる。これは切手と同じ、なめると張り付く封印シールで、アシスタント仲間では「コダックよりフジフィルムのほうが美味い」とか「時々メンソール味がある」などとまことしやかに語られていた。
さてそのハッセルブラッド、「いつかはハッセルブラッドを・・・」とアシスタントになってすぐ思い、ハッセルブラッド貯金を始めた。
 前も書いたが、この頃僕はU師匠から一ヶ月25,000円のアシスタント代をもらっていた。30数年前の25,000円だが、たぶん当時の大卒初任給8〜9万円の時代でその約三分の一。
僕は埼玉の実家から通っていたから食費も家賃もかからない。さらに休みがほとんどないからお金を使う暇もない。25,000円の中から毎月10,000円を定額貯金し、2年間で利息を含めて250,000円、4年目で500,000円貯めていた。5年目のある日、「言ってはいけない一言」を言ってしまった僕の言葉が師匠の逆鱗に触れ「明日から来るな!」と、クビになった。

「すぐにカメラマンにならないと食っていけない」と、翌日東京に引っ越し下北沢にアパートを借り、住所が決まったところで電話を引き、電話番号が決まったところで名刺を作り、

僕はカメラマンになった。

 ここまでで普通に貯めていた貯金をほとんど使い尽くした。
幸いにアシスタント時代に撮り貯めていた作品を持って出版社を5社回ったら3社から撮影依頼が来た。
 かけ出しカメラマンの最初の仕事には十分な機材を持ってはいたが、さらに上の仕事を目指して500,000円の定額貯金を解約し
僕はハッセルブラッドを買いに行った。

つづく
ニコンと大きさを比べた、ハッセル結構小さい

2011年6月22日水曜日

「ズームでいい」か「ズームがいい」か 

28ミリF2、85ミリF1.4、180ミリF2.8
MFフィルムカメラの時代の僕の愛用レンズだった3本だ。この3本があれば仕事の8割はこなせた。
「ズームレンズなどは仕事で使うものではない!」と思っていた時代のことである。そんな1996年、ニコンからとても魅力的なスペックのズームレンズが発売された。

初代ニッコール24-120
「AFズームニッコール24-120mmF3.5-5.6D」この必要にして十分な焦点距離のレンズが、僕のズームレンズの考えを変えた。
8万円程度の手ごろな価格もあって発売を待ってすぐに購入した。最初は常にカメラバッグに入れておいて、他のレンズに不具合が出た場合の予備と考えていた。28ミリが壊れても、85ミリが壊れても、最悪180ミリが壊れてもこのズームレンズ1本あれば全ての予備になると・・・。
ところがすぐに主役が入れ替わった。24-120ミリズームが常に主役で、元主役の3本のレンズは控えの座に落ちていった。
この何よりも便利なズームをきっかけに新たに買うレンズはズームレンズばかりになってしまった。28-200ミリF3.5-5.6、18-35ミリF3.5-5.6、70-300ミリF4.5-5.6と新しいズームレンズが発売されると次々に購入した。常用レンズは単焦点から入れ替わり、カメラバッグの中は3本のズームレンズしか入らなくなった。
すぐにデジタルの時代になり、極めつけのレンズ「AF-S DXズームニッコール18-200ミリF3.5-5.6G ED VR」が出るともうレンズはこの1本で済んでしまうほど通常使用する焦点距離を全てカバーする便利さに、もう仕事で使うレンズは「ズームでいい」と何の疑問も持たずに使っていた。

あるとき、撮影現場で「なるべく後ぼかして下さい」とアートディレクターに言われ「はい、はい、じゃあ絞りを開け目に・・・」と思ったが、望遠側はどれも開放がF5.6、これ以上開けようがない。もっと望遠にして・・・と思っても引きがない(後に下がろうと思っても場所がない)・・・。
そういえば、便利さと軽さにを良いことに開放F値の暗いズームレンズばかりを使っていた。

それをきっかけに明るいレンズに目を向けることになった。
初めのうちはAFニッコール85ミリF1.8Dを持ち歩いて、ぼかしたいときに付け替えて使っていたのだが、ズームレンズに慣れてしまって何とももの足りない。やっぱり「ズームがいい」と、大口径ズームレンズに手を伸ばした。
最初に買ったのが「AF-S ズームニッコール80-200ミリF2.8D」このレンズは十分に満足していて、現行品は「AF-S 70-200ミリF2.8G ED VRII」だが買い換えることなく使い続けている。
次に「AF-S ズームニッコール28-70ミリF2.8D」と思ったときに、妙なレンズにはまってしまった。
以前に紹介した「アンジェニュー28-70ミリF2.6」である。F2.8ではなくF2.6にくらっときて思わず買ってしまったのだが、とろけるボケに痺れてお気に入りレンズとなった。
しかし何か物足りなさを感じた。

なぜズームレンズばかりを使うようになったか、これには1つ理由がある。デジタルになってレンズ交換を極力避けるようになったのだ。理由は「ゴミ」。レンズを交換するたびに「内部撮像素子」にゴミが付くリスクがある。それを避けるためには極力レンズ交換をしない=ズームレンズ、が答えだ。それにしては28-70ミリでは望遠側がちょっと物足りない。ニッコール他、レンズ専門メーカーを探しても明るさF2.8で標準ズームレンズ領域では「24-70」「28-75」「28-80」しかなかった。
 そんなとき、今回紹介するレンズ「TAMRON タムロン SP AF 28-105mm F2.8 LD Aspherical IF」の中古レンズをWebで発見した。
調べてみるとこのレンズ1997年に発売、2000年にマイナーチェンジをして2003年まで発売されていた。当時の価格は130,000円。
発売当時の記憶はまったくなく、初めて存在を知った。中古市場でもあまり見かけないので、レンズメーカー製レンズにしては高価で、一般の方が使うには大きすぎるのであまり売れなかったのかもしれない。
僕が買ったのは後期のモデルで、程度はあまり良くないが3万円代だったので迷わず購入、すぐにメーカーに持って行きオーバーホールをしてもらった。
外観のデザインは変にプラスチックっぽいのであまり気に入ったものではない。前玉レンズが異常に大きくフィルター径が82mmもある。重量880gも重すぎだ。が、しかし写りに関しては文句がない。
105ミリにのばしたところ
左から初代24-120、VR24-120、タムロン28-105F2.8
 早速グラビア撮影に使ってみた。
ニコンD3に Nikkor 80-200ミリF2.8を三脚に付けて、決めカットを撮影。手持ち撮影用に、D3にTAMRON 28-105ミリF2.8を付けてモデルと一緒に動きながら撮影。手持ちの重さを我慢すれば写りは良いし、ボケも良い。F4辺りが美味しいところ。僕は人物撮影が多いので周辺画質はあまり気にしないが、1段絞れば四隅の光量低下もかなり改善される。難点は逆光に弱いこと。フレアーは気にならないが、丸いレンズゴーストがちょっと気になる。それと、発色が黄色い。フィルム時代は気になっただろうが、デジタルはホワイトバランスを調節すれば発色の悪さは補正できるのでこれも問題なくなる。
かくして、僕の最大のお気に入りレンズになったこの「タムロンレンズ」だが、残念なことに製造中止してから7年を経過したため部品交換を伴う修理ができなくなった。
タムロンがこのドでかいレンズを最新のXR技術でコンパクト化して再度発売してくれることを祈る思いなのだ。
「タムロンさん、お願いしますヨ!」
現行品は「SP AF28-75mm F2.8 XR Di LD Aspherical [IF] MACRO」で、望遠側が75ミリまでしかなくもの足りない。しかし、フィルター径が67ミリとコンパクトで、重量510g、値段がなんと3万円程度で新品が手に入る。

あらためてニッコールのカタログを見てみると、大口径単焦点望遠レンズは「85ミリF1.4」「105ミリF2」「135ミリF2」「180ミリF2.8」あとは超弩級望遠レンズ。最近85ミリはリニューアルされたが、あとの3本は少々時代遅れのレンズになってしまった。最新「AF-S NIKKOR 85mm f/1.4G」は今一番気になるレンズではあるのだが、値段が22万円もする。

ん~やっぱ、大口径で、便利な「ズームもいい」ぞと、実は「タムロンSP AF28-75mmF/2.8 XRレンズ」も買ってしまった。

2011年6月14日火曜日

[ GOSSEN ] またゴッセンを買ってしまった。

GOSSEN
またゴッセンを買った。買ってしまった。
「ゴッセンルナシックス3」だ。いや、「ルナプロ」だ。名前はどっちどっちでもいい中身は一緒だ。
なぜ「買ってしまった」なのかと言うと、今さら使いみちがないからだ。

よっぽどのカメラマニアかプロカメラマンでないと聞いたこともないと思う「GOSSEN」だが、ドイツの老舗露出計メーカーなのだ。露出計とはなんぞやと言うと、写真を撮るときに明るさを測る計測器だ。ほとんどの方は見たことがないと思うが、普通はカメラの中に入っている。
1824年に世界で始めて「カメラ」ができ、1935年に初めてカメラに露出計が内蔵された。それまでは単体の露出計で明るさを測り、その明るさをシャッターと絞りに置き換えてカメラにセットして写真を撮る。1935年ドイツのコンタレックスに初めて露出計が搭載されて以後、ほとんどのカメラに露出計が内蔵され、単体露出計を目にすることはほとんどなくなった。皆さんのデジカメ、携帯電話についているカメラ全てに露出計が内蔵されている。
しかし、プロは別。プロはカメラに露出計が内蔵されていても必ず単体露出計を使う。なぜならここにプロの技が潜んでいるからだ。
人物撮影におけるプロの技
「その1」背景選び。
「その2」ライティング。
「その3」たくさん撮る。
その2のライティングにかかわってくるのが露出計なわけだ。
簡単に言うと、カメラにおまかせして写真を撮ると無難にど真ん中どんぴしゃりに露出を合わす。
プロはギリギリの露出で撮る。そのギリギリさがカメラマンによって違っていてそれこそがカメラマン1人1人の個性になる。それには露出計の「出た目」からどちらにどれ位ずらすかが重要になる。
そのためには、正確な計測ができる露出計が必要になる。
僕がU師匠のアシスタントだった30数年前、露出計と言えばミノルタかペンタックスかセコニックだった。だがドイツもの好きのU師匠のカメラはライカ、車はベンツ、露出計は「ゴッセンルナシックス3」だった。
操作は簡単で、フィルム感度を合わせ、光の来る方向に受光部の白い光球を向けシーソースイッチを押す。針が振れるのでその下の数値を読み取る。ダイヤルを回して黄色い矢印に数値を合わせる。ダイヤル外側の「絞り値」と「シャッター値」を読み取りカメラに合わせる。のだが、僕がアシスタントをしていた4年半のあいだ師匠は一回も露出を測らせてくれなかった。おかげで僕は操作の仕方は知ってても本当の測り方はわからなかった。
プロになってすぐ僕は自分の露出計を買った。「ミノルタ」製の露出計で当時88,000円だった。明るさを測るだけで88,000円。でも「女性をきれいに撮る」露出が測れるようになるには1年くらいかかった。

と、前置きが長くなったが、今回購入した「ゴッセン ルナプロ」はアメリカ向けの名称で、ドイツ、日本では「ゴッセンルナシックス3」の名称で販売されていた。もう30年も前の製品だ。もちろん今でも使える物だが、「大きく」「重い」し「単機能」なのでたぶん仕事での出番はないのだ。
今使っている「ゴッセン」と比べてみた。大きさはご覧のような差だ。大きさ70mm×110mm重さ180g。

小さい方「ゴッセン デジフラッシュ」は大きさ50mm×70mm重さ40g。小さいが多機能だ。ルナシックスと同じ定常光(太陽や電灯の光)の他、フラッシュ光も測れる。これはカメラに内蔵されている「フラッシュ」の光ではなくスタジオで使う大型ストロボの光を測るのに欠かせない。今はこのフラッシュ光が計れなければプロカメラマンが露出計を持つ意味がない。さらに、デジタル時計もついている。目覚ましタイマーも、温度計もついている。温度計はその日の「HI」と「LOW」を記憶している。撮影後「今日暑かったわけだよ、最高気温30度越えてるよ」などの会話もはずむ。そんな便利ないまどきのゴッセン露出計を持っているのに、今さら、師匠が使っていた「ルナシックス3」買ってどうすんだよ、と自分で思う。定常光しか計れないのに・・・。事実、買ってから一度も外に持ち出したことがない。

夜になると僕は思い出したようにゴッセンを取り出しスイッチを押してみる。
今まで休んでいた針がスーッと動き、止まる。
コーヒーを一口飲んだあと、ダイヤルを回して数値を読み取る。
シャッター「1/60」、絞り「F2」
自分の部屋の明るさだ。
感度はASA200に合わせてある。
なんど計っても、いつ測っても、針の振れに変わりはない。いつもの部屋の明るさだ。

でもきっと、
明日も測ると思う。

2011年6月10日金曜日

「ガールフレンド」の Tiltall

「ガールフレンド」の Tiltall
僕のガールフレンドではない。1979年公開の映画 「Girl friends」の話である。
古い話なので僕はこの映画を見たかどうか覚えていない。はっきり覚えているのはこの映画のポスターで、主演の女優メラニー・メイロンがかついでいる三脚だ。
1979年当時、僕はカメラマンのアシスタントをしていた。今はだいぶ事情が変わっているが、当時はアシスタントと言えば「弟子」、師匠の自宅のトイレ掃除から子供のお守りまでやらされる下働きだった。給料と言えるようなものはもらえず、1ヶ月25000円のお小遣いをもらっていた。そんな辛い日々を送っていても「いつかは独立して一人前のカメラマンになるんだ!」と、自分で自分を励ましていた。ある日仕事に疲れクタクタになって新宿駅を歩いているとき、このポスターを見かけた。

内容は
「田舎から出てきたかけ出しカメラマンと、詩人志望の女の子2人がニューヨークで暮らしている。詩人志望のアンは詩人を諦め、結婚し子供を産み平穏な暮らしを選んでいく。一方かけ出しカメラマンスーザンは別のルームメイトを得、さらに頑張る元気をもらい個展の準備。2人別々の人生を歩み始める。」
というもので、(今ネットであらすじを探して読んでいるうちに見たような気がしてきた)そのスーザン(メラニー・メイロン)と自分を結びつけたのが彼女が肩にかついでいる三脚だった。金属むき出しで、いかにもプロが使う大型三脚、それが [Tiltall] ティルトールだと知ったのはだいぶ後になってからだ。
 当時はプロカメラマンが使う三脚と言えばフランス製のジッツォかアメリカ製のハスキーのどちらかに決まっていた。どちらでもない見たこともない三脚が彼女の肩で威風堂々と見え、僕は三脚に一目惚れした。名前も知らないその三脚が記憶に刻み込まれた。

実物のティルトールを見たのは20年後の中野だった。東京の中野駅の近くの中古カメラなどを多く扱うFジヤカメラに新品のティルトールがあった。初対面だったが一目見て20年前の「Girl friends」だと直感した。
パッケージを見ると「コニカマーケティング」とある。箱だったかタグだったかにティルトールの詳しい歴史が載っていて、元々はアメリカ生まれで、ライカ社がライカカメラに最適な三脚と考え一時期ライカ傘下で製造しており、生産中止後「コニカ」が復刻版を出した。それがこの製品だった。他にもいかにこの三脚が画期的であったかなどの詳しい解説があり興味津々だったが、その時すでに僕にはわざわざフランスに行って購入したジッツォと3台のイタリア製マンフロット三脚があり・・・。
中野駅に向かう僕の足取りは重く頭の中で竹内まりやの「駅」が何度も何度も繰り返し聞こえた。

 そしてついに、3年前、3度目の出会いで僕はティルトールを手に入れた。
アメリカの通販サイトで新品ティルトールを発見したのだ。しかも値段は100$今度は迷わず注文したのだが、問題は送料。航空便で100$近くした。
そして、手にしたティルトールは、ライカ社からも、コニカからも見放されおそらくアメリカの小さな工場で雑に作られたであろう再復刻の製品だった。新品にもかかわらずネジ山がつぶれ、脚1本にガタがあり、カメラを取り付ける部分(雲台)のゴムはベト付いてめくれていた。僕はネジを締め直し、雲台のゴムを東急ハンズで買ってきたコルクに張り替えた。
映画のポスターで見たものは銀色のアルミむき出しだったが僕のティルトールは黒塗装されていて無駄に光を反射しない。雲台のパーン棒が直角に付いているのがティルトールの特徴で、初めて見てから30年近く経っても変わっていない。
 実際に使ってみるとカメラ横位置では真後ろに飛び出しているパーン棒が喉に当たって最初は戸惑った。これも次第になれるし、縦位置の時は問題ない。重さもジッツォより軽く、強度、安定性も良い。細かい部分は使いながら直しを繰り返すうちに馴染んできた。高さも190cm近くまで上がり十分に高い。
やっと手に入れたパートナーはいつも僕の車の後部に収まっている。

残念ながら、誰にでもお勧めするものではない。
実用性を考えると国産メーカーで良い三脚がたくさんある。

2011年6月3日金曜日

「何ですかこれ?」「えっ?あ~ DOMKE」の ドンケF-2

「何ですかこれ?」「えっ?あ~ DOMKE」
もう20年以上前になるだろうか。雑誌の取材でマカオのマカオグランプリを撮影に行った。
たまたま同じ取材陣の中に同年代の週刊B春のカメラマンがいた。他にも4~5人のカメラマンがいたがみんな年上のベテランカメラマン風で話しづらく、その同世代カメラマンと3日間ほど一緒に飯を食ったりして意気投合した。そのカメラマン(仮にB氏としよう)がもっていたカメラバックが、とてもカメラバッグとは思えないよれ~っとしたへなへなのバッグで思わず聞いてしまった。
「何ですかこれ?」「えっ?あ~ DOMKE」

僕はと言えば、ニコンF3二台にサンニッパと2倍テレコン、80-200他、広角レンズ、フィルムなどでかなり大振りのバッグでひ~ひ~言っているのに、B氏の小振りのバッグの中身はよりによってライカだった。

そもそもこの取材、レースを撮影するのではなく公道を使ってレースをする全体を紹介するもので、どちらかと言えば報道的内容、B氏はカメラマンと言うより「フォトジャーナリスト」的で、他のカメラマンとは毛色が違っていた。
で、その「DOMKE」たぶんドンケF-2だったと思うのだが「よれ〜っとしていて、へなへな」でカメラバッグとは思えなかったのでちょっとけなした語調で「なんすか〜それ?」に近い感じで聞いてしまったのだ。が、3日間一緒にいてその機動性にビックリ、まさにビックリ箱のようにいろいろ出てきて小さいけれどいろいろ入る。試しに持たせてもらったが中身がいっぱい詰まっている重量感だった。「報道カメラマンの機材は僕なんかが使う機材とはちょっとちがうな〜」と、ドンケ=報道、と頭の中に刻み込まれた。

それから10年以上たった頃。Yドバシカメラのカメラバッグ売り場で「ドンケF-2」に再会した。カラのドンケを触るのは初めてでクッションのないキャンバス地はちょっと頼りなさを感じたがベージュ(正しくはサンド)色したドンケがなぜかなつかしく購入してしまった。
当初はロケ用のフィルムバッグとして使っていた。中のクッション付きコンパートメントを外し、フィルムマガジン5個とポラマガジンを中央に入れ、ブローニーフィルムの皮をむいたものをサイドポケットに入れ、アシスタント二人がかりでフィルム交換をし、撮影済みを反対のサイドポケットに入れる。そんな使い方で3〜4年たった頃からメインカメラがデジタルに変わっていったため、フィルムバッグの出番がなくなってしまった。

これの
中身を出すとこれ
代わりにロケにパソコンを持ってゆくようになったが、ドンケF-2はパソコンバッグには不向きだったのでクッション付きコンパートメントを戻しカメラバッグとして使い始めた。ブローニー時代メインカメラはマミヤ645を使っていた。ワインダー付きボディ2台、予備ボディ1台、フィルムマガジン5個、レンズ7本、ポラ等をテンバ・エアーケースに入れていた。大きさも大きく持って歩ける重量じゃなかったが、デジタルになって「F-2」一個で十分になった。心配だったキャンバス地もそれほどヤワではなく、へなへなのおかげで自由度が高い。つまり押し込めば何とかなってしまう。底板はベニヤが入っているかと思うくらいしっかりしている。ショルダーストラップの他にハンドストラップが付いており案外便利。ちょっと高いが [MADE IN USA] 。
[MADE IN USA]
何に価値を求めるかはそれぞれだが、この何気ない風合いのコットンキャンバス。よれて傷んできても飽きがこないジーンズのようなタフさ。
「これがドンケの魅力なんだ。」と最近になってやっとわかってきた。
そうそう、週刊B春にその後掲載されたB氏の写真は(記事も書いていた)さすがライカ(?)なかなか良い仕事であった。

2011年6月2日木曜日

angēnieux  アンジェニューズーム ニコンAFマウント 28-70mmF2.6


 [ angēnieux ]と書いて「アンジェニュー」と読む。
この妙な名前のレンズの存在を知ったのはファッションカメラマンU師匠のアシスタントをしていた頃だ。U師匠は当時珍しく「ライカフレックス」をファッション撮影に使っていた。今から30年以上前の話だが、ファッション撮影と言えば「ニコンF2」にモータードライブを付けてガンガン撮るか、おしゃれなカメラマンは「キヤノンF-1」にモータドライブを付けスマートに撮影していた時代だ。U師匠は「ライカフレックスSL2 MOT」にモータードライブを付け「ズミクロン」や「テレ-エルマリート」で撮影していた。そのU師匠が新たに購入したレンズが「アンジェニューズーム45-90mmF2.8」ライカRマウントだった。僕にとっては初めて聞く「アンジェニュー」を師匠は「アンジェニューはフランスのメーカーで、おもに映画用のレンズを作っている。このレンズで撮るとフランス映画のように写るんだ!」と自慢げだった。「フランス映画のように写る」がどういう意味なのか、師匠がこのレンズで撮影した写真を見ても僕にはわからなかった。何となく「シェルブールの雨傘」のジュヌビエーブと恋人ギィとの別れのシーンのカトリーヌ・ドヌーブの悲しげな顔が思い浮かんだが・・・。

時がたち、カメラマンになり、少し余裕が出てきた頃、仕事で使うことはないがライカを使い始めた。
M6に始まり、M2、M3、M5とカメラを買い、Mマウントレンズも21mmから135mmまで揃えてしまうと、Lマウントの古いレンズが気になり始めた。
様々なレンズに目移りしているうちに「アンジェニュー28mmF3.5」Lマウントがあることを知り、久々にこの名前を目にした。
このレトロなレトロフォーカスレンズはさほど気にかからなかったが、それから暫くして今回紹介するニコンFマウントのレンズに出会った。

前置きが長くなったが、「アンジェニューズーム ニコンAFマウント 28-70mmF2.6」をネットオークションで目にしたとき、なぜか「シェルブールの雨傘」が思い浮かび、にわかに興味がわいてきた。AFであれば現在使っているニコンD3でも使え、しかも明るさF2.6。ネットで検索してみてもあまり多くの情報は発見できなかったが、「アメリカで2600ドルで売られていた」「日本のトキナーが組み立てていたらしい」「日本では販売されなかった」等の情報が得られた。当時1ドルがいくらだったはわからないが100円として26万円。AFニッコール28-70mmF2.8が24万円ほどだったのでメーカー純正よりも高かったようだ。レンズメーカー製レンズは純正より安いのが売りで、これでは日本で知名度のないアンジェニューが売れるとはとても思えない。
気になってはいたがネットオークションでも結構高値で、そのまま誰かに落札されてしまった。
「シェルブールの雨傘」が記憶から消えていった。

次に目にしたのが数年後、アメリカの中古カメラサイトで1000ドル位で出ていた。「これを逃したら次はないかも・・」と思いつつ、1週間ほっておいた。それでも売れずにいたので「これは縁がある!」勝手に決めて購入した。
鏡胴は金属製でしっかりした作り。ずしりと重い。
純正レンズフードもあったようだが購入品にはついていなかった。


28mm
70mm

しかし、レンズ前枠内にプラスチック製のフレアーカッターが付いてこれが映画のレンズのようでアンジェニューらしい。結構効果もありフードは必要ない。ビックリするくらいでかいフードを付けなくて良いだけでも価値ありだ。


F2.6だが、D3に付けてみると表示は「2.8」で、exif撮影データでもF2.8と表示される。
ボケが秀逸で、柔らかくにじむ。
周辺光量落ちがあるので、D3の「ヴィネットコントロール」設定は必須だ。
オートフォーカス時にピントリングが思い切り回るので触れないように気をつけてホールドしなければならない。
購入後1年間くらいはナンバーワンお気に入りレンズで、広角系は必ずこのレンズを使い「F2.6」開放で使っていた。
万能レンズではないが、F5.6まで絞ればボケもにじみも消え普通になる。仕事で使っているとカメラ好きスタッフから「このレンズは何ですか?」と必ず聞かれそのたびに「フランス映画のように写るんだよ」と自慢した。

最近は別の「F2.8」ズームレンズが気に入っていてこのレンズの出番は減った。
近々その別のレンズもご紹介したい。