2012年1月25日水曜日

オーロラに夢を懸けたカメラマン 〜極北のダメ男のメール~

[ 送信 ]ボタンを押す前にもう一度全文を読み返してみました。
メールとはなんと便利なのでしょうか。電話は架け辛い、手紙を書くのは重すぎる、そんなときでもメールだとなんの負担も無く書けるような気がします。
そんなわけで、とりとめのない長い文章になってしまいました。
1人の女性をも幸せに出来なかったダメ男が書いた愚痴っぽい文章なので、以下の本文は読まなくてもいいです。
書類は明日送ります。

10年間ありがとう。
さようなら。

本文:
思えばこの極北の地に移り住んでからもう3年になります。
オーロラの撮影は順調です。この時期は空気が澄んでいるのでかなりいい感じで撮影が出来ています。
君に2年前に送ってもらった「ニコンD3」のおかげで快適に撮影が出来ます。それまではD200を使っていたので高感度撮影時のノイズが気になっていました。D3はISO 800でも一切ノイズが出ずISO 6400まで感度を上げることが出来るので助かっています。そう言えば今度「ニコンD4」が発売になるようなので16メガピクセル、ISO 204800でぜひオーロラを撮影してみたいな。
動画機能もかなり期待できそうです。
1〜2年後には何とか買いたいな。
今思えば2年前に「ニコンD3」購入資金を捻出するために「Aiニッコール16ミリF2.8s」を手放してしまったことを後悔しています。君にはわからないと思いますが、180°の画角で天空を写すことが出来る魚眼レンズです。マニュアルフォーカスレンズなので、いずれはオートフォーカスの魚眼レンズを買おうと思いつつ、いまだに買えません。
昔、若くて、貧しい夫婦がクリスマスプレゼントに、夫は妻の美しい長い髪を留める髪留めを、妻は夫のお気に入りの懐中時計の鎖を買って帰ったところ、妻は髪を切って売って鎖を買い、夫は時計を売って髪留めを買った。お互いにもらった物を使う場所を失っていた。
そんな話を思い出してしまいました。

つまらないことを書いてすみません。
オーロラの写真は売れています。インターネットのストックフォトサイト3ヶ所に登録していて、オーロラ以外の写真も含めて合計で約5000枚の写真を販売しています。こんな地球の果ての町にいても、世界に向けて写真を販売できるなんて、僕がカメラマンになった15年前から考えると夢のようです。
登録しているストックフォトサイトは世界をネットしているので日本でも僕の写真が買えます。今のところコンスタントに毎月15万円ほどの売り上げがあるので、1人で生活する分には何とかなっています。
オーロラにはまったのは君と2人でスウェーデンを旅した時でしたね。君の友人であるリチャードとヘレナを訪ねてストックホルムに行き、冗談半分に「オーロラの写真が撮りたい」と僕が言ったのがきっかけでした。9月のスウェーデンでオーロラが見えるわけがないと思ったのに、リチャードが「そんなことはない。北極圏に行けばこの時期でもオーロラが見える」と言い張り、詳しく調べてくれたのがきっかけでした。
パリに行く日程を変更し、リチャードが調べたキルナに3日間滞在し、ラッキーにも撮影に成功したとき僕は有頂天になりました。まだフィルムで撮影していたので、東京に戻ってラボから現像が上がってくるまで心配でしょうがなかったことを思い出します。さらにその写真がストックフォトで売れて、新宿西口のビルボードに12メートルの大きさで掲示されたとき「これは僕のライフワークだ!」と思ってしまったのです。
しばらく経ってからこの思いが僕の中でどんどん大きくなり、君に打ち明けたとき「寒いからいやだ!」と一蹴されたときは力が抜けてしまいました。
それはそうですよね、君が経営しているコンサルティング会社も順調に業績を伸ばしているのに「僕の夢に付き合って北極圏に移り住んでくれ」と言っても、付き合ってもらえないことはわかっていました。ただ僕は英語が出来ないので、英語が堪能な君が一緒に来てくれれば、撮影も生活も順調にいけると思ったのです。
今ではもうだいぶ慣れて、かたことの英語と地元の言葉で何とかやっています。
そう言えばリチャードが、日本人のオーロラ観測ツアーのガイドの仕事を探してきてくれて、1ヶ月に2回くらいガイドの仕事もしています。

わかっていても、さすがに離婚届の用紙を受け取ったときにはショックでした。
3日間ほど放り投げて見ないようにしていましたが、ちょっと日本がなつかしくなって、YouTubeで日本の音楽を探していて、うっかり「さだまさし」の「風に立つライオン」を押してしまいました。この曲は日本人の青年医師がアフリカで医療活動に従事しているとき、日本に残した恋人から結婚したとの手紙をもらい、その返事の手紙が曲になっています。実話にもとづいていると知り、聴きながら涙があふれました。3回聞きましたが、3回とも泣きました。その青年医師と自分を重ね合わせたわけではありません。かたや医者で志高く、多くの人に望まれて仕事をしているのに、僕は誰に望まれたわけでもないのに、勝手に1人で好きな事をしているだけで、志などないですから。
何で泣けるのか考えてみましたが、ただただ情けない自分に泣けたんだと思います。
でもこの曲を聴いて吹っ切れました。
離婚届は明日発送します。

これで僕には、東京に帰る場所が無くなってしまいました。
あ、僕の荷物は札幌の母のところに送っておいて下さい。
お手数かけます。
母にはこの件を連絡しておきます。
リチャードとヘレナには僕から話しておきます。こちらでは籍を入れない夫婦がほとんどですからあまり気にしないと思います。

あと2年くらいこの地で自分の夢を追いかけてみようと思います。
 僕は「風に向かって立つライオン」ほど志も、使命も、格好良さもありません。
 では、何故写真を撮っているのかを考えてみました。
僕らは子供を持ちませんでした。
後世に継ぐ物は何もありません。
せめて、自分が撮った写真を残したい。
自分の納得出来る物を、後の世に残したい。
それがこの時代に、1人の人間が、男が、生きていた証となるような・・・
そんな写真が撮りたい・・・

極北のダメ男より


「風に立つライオン」さだまさし
↑ ここを押すと曲が聴けます。
※この手紙はフィクションです。
※人物は実在しません。
※モデルもいません。

2012年1月7日土曜日

ライカレンズを全部買う その3 [50ミリがいっぱい]

「ライカレンズって良いの?」ライカに全然興味のない方からこんな質問を受けることがある。
単純に画質に限って言えば「現代の日本製レンズの方が良い」と言えるだろう。
また金額のことを考えてもとてもおすすめできる物ではない。
ちなみにライカレンズ 「ズミルックスM 50ミリF1.4」の新品価格 400,000円ほど。
「Aiニッコール50ミリF1.4s」の新品価格 40,000円ほど。
10倍の価格差があって、写りが特別に良いのでなければ、なぜライカレンズを買うのか?
ブランド?
歴史?
理由、というより言い訳をいろいろと考えてみたが、上手く説明が出来ない。

僕が持っているライカレンズは全部中古レンズだ。古い物では70年、比較的新しい物でも20年前の中古で、しかも外観の程度の悪い物を狙って格安で購入した物だ。
もともと高価なライカレンズでも「暗い」「ぼろい」「古い」のいずれか、または全部を我慢すればかなりを安く買う事が出来る。
僕はこの3つを我慢して次々とライカレンズを買った。

デュアルレンジの2重カム
今回は50ミリの話。
「ライカレンズを全部買う その1」にも書いたが、最初に購入した50ミリは「デュアルレンジ ズミクロン50ミリF2」。
このレンズの高画質と、遠距離と近接撮影を可能にしたデュアルレンジの仕組みにはライカレンズにのめり込む魔力があった。

沈胴した状態の裏側
ライカのレンズは単にピントリングと絞りリングがあるだけではない「仕掛け」のあるレンズがある。デュアルレンジの次の購入した50ミリは「沈胴」式の「エルマー50ミリF2.8」だった。沈胴式とは、収納時にはレンズがボディ内に収まり、使用時には引き出す方式の物で、ライカの得意な方式のレンズだ。このレンズもLマウントに始まり、Mマウントfeet表示、Mマウント[m・feet]併記の3本を購入した。暗いレンズに属する3群4枚構成のシンプルレンズで画質はズミクロンほどではない。暗いレンズだけに開放から申し分のない画質だが、絞っても画質が向上することもない、可もなく不可もない、コンパクトな「標準」的レンズだ。さらに沈胴にはまってLマウントの「エルマー50ミリF3.5」を5〜6本買った。このレンズも歴史が長く1924年から1959年まで36万本ほど製造されたようだ。戦前、戦後、ニッケル、クローム、メートル、フィート、絞り表示の違い、さらに深度表示が赤い「赤エルマー」など様々あるが、古い物なので経年変化による個体差が激しく「あたり」のレンズが来るまで次々と買ってしまった結果だ。外観はMマウントの物よりさらに小さく、写りに関しては「こんな古いレンズでもこれだけ写るんだ!」と感激した。

エルマー2.8[m・feet]併記
次に買ったのが「ズマリット50ミリF1.5」このレンズもかなりの癖玉。このレンズの発売当時はまだF1.4まで明るくできず今どきはありえないF1.5という半端な明るさ。エルマーのF3.5に比べると2絞り以上明るいハイスピードレンズで贅沢品だったはずだ。癖玉と言われるわけは開放にある。無理して明るくしているため開放絞りではにじみが多い。さらにこの時代のコーティングが弱いのか、レンズ自体が柔らかいのか前玉に拭きキズが出やすい。ハズレのレンズを買うと傷だらけの物があり、さらに激しくにじんでしまう。僕のレンズも薄い拭きキズはあったが比較的良好で、開放で幻想的なにじみを楽しみ、F2.8まで絞るとエルマー2.8レベルに画質が向上し、さらに絞るとさらに画質が良くなる。絞りによって明るさを加減するだけではなく、画質をコントロールできるレンズで、この「癖」を上手くコントロールすれば1本で3度美味しいレンズになる。

ライカの50ミリは種類が豊富で、「ズミルックス50ミリF1.4」「ノクチルックス50ミリF1.2」「ノクチルックス50ミリF1」さらに現行品で「ノクチルックス50ミリF0.95」という超高速レンズもある。
ちなみにこのレンズのお値段118万円
もちろんこんな高いレンズは持っていない!

恐ろしやライカレンズ!

さらにつづく

2012年1月3日火曜日

ライカレンズを全部買う その2 [エルマー3.5cm]

僕は明るい大口径レンズより、開放が暗めのレンズの方が好きだ。理由は色々あるが、
1)口径が小さいので、全体にコンパクト
2)無理に明るくしていないので、性能も良い(収差が少ない)
3)明るいレンズより値段が安い
3番目の「値段が安い」が、最も暗めのレンズを好む理由である。
一眼レフの場合、暗いレンズはファインダーが暗くなってしまい長く使っていると目が疲れてしまう。しかし、レンジファインダーカメラは暗いレンズを付けてもファインダーの明るさが変わるわけではないので、暗くても軽くて、しかも安いレンズが好みなのだ。

35ミリレンズは「ズマロン35ミリF2.8」に始まり「ズマロン35ミリF3.5」「ズマロン35ミリF3.5 Lマウント」「ズマロン35ミリF2.8 めがね付き」そして、「ズミクロン35ミリF2」までを買ってしまったことは[その1]で書いた。
ライカレンズの35ミリにはさらに明るい「ズミルックス35ミリF1.4」がある。噂ではライカレンズの中でもいわくつきの癖玉で、こいつをねじ伏せて使いこなすことが出来れば、ライカ使いとしても上級レベルのようである。派手なフレアー、周辺のボケ、コマ収差など、絞りを明けると欠点が目立ってくるようだが、愛好者にはあばたもえくぼで『味』として受け入れられているようである。
そして、中古でもとても値段が高い。一点豪華主義の愛好家には良いと思うが、僕はいまだにズミルックスには手を出していない。
そして、そして、次に手を出したのが「エルマー3.5cmF3.5 Lマウント」だった。
このレンズはライカが初めてだした広角レンズで、Lマウント(バルナックタイプのライカカメラ用)の物しかない。
ライカの良いところはマウントをLマウントから、現行Mマウントに切り替えたとき、L→Mマウントアダプターを供給していて戦前の古ーいレンズまでが現行ボディに付けられるところだ。
エルマー3.5cmF3.5は1932〜1950年に発売されていた物で3群4枚のいわゆるエルマータイプの広角レンズで、間に第二次世界大戦があったため『戦前』モデルと『戦後』モデルに分かれる。
大きな違いはノン・コーティングとコーティングの違いだが、他にも絞り表示が『大陸絞り』『国際絞り』、外装が『ニッケル』『クローム』、距離表示が『メートル』『フィート』など、様々なモデルが混在している。何れにしても製造から70年前後の時を経ており、個体差が非常に大きい。
僕がこのレンズを探していたときも中古店の店主に「あれはボケ玉で使えないよ」という意見も聞いた。
結局中古店で1本、ネットで2本の計3本のレンズを購入し、撮り比べて一番気に入ったレンズを1本残して2本のレンズはすぐに売ってしまった。
気に入ったレンズは1941年製戦前型、大陸絞り、メートル表示の物で、[ Heer ](陸軍)と書かれた軍用の物だった。70年前の物とは思えないすばらしい写りで、少し線の太い描写が古さを感じさせるものの、すでにこの時代にレンズ設計は完成していたと思わせるものだ。
ついでに、このレンズに似合うであろうバルナックタイプのライカカメラ [ lllf ]とファインダーもセットし、クラシックスタイルでの撮影を楽しんだ。
実際はものすごく不便。
フィルム装填はほとんど一回では上手く出来ない。ゴッセン露出計で露出を測るのだが、絞りは6.3とか9とか変な数字だし(普通は5.6、8、11と表示される)、シャッターも50、75、100(普通は30、60,125)だし、ピントを合わせるファインダーとフレーミングするファインダーが分かれているし・・・逆に、今のカメラがいかに便利かを確認できる不便カメラだが、儀式のようなその不便な操作をも楽しむ・・・完全に病気だ。

さてその後もさらにエスカレートし、50ミリ、90ミリと次々レンズを買っていく、果てしなく続くライカレンズの世界は

つづく