[ 送信 ]ボタンを押す前にもう一度全文を読み返してみました。
メールとはなんと便利なのでしょうか。電話は架け辛い、手紙を書くのは重すぎる、そんなときでもメールだとなんの負担も無く書けるような気がします。
そんなわけで、とりとめのない長い文章になってしまいました。
1人の女性をも幸せに出来なかったダメ男が書いた愚痴っぽい文章なので、以下の本文は読まなくてもいいです。
書類は明日送ります。
10年間ありがとう。
さようなら。
本文:
思えばこの極北の地に移り住んでからもう3年になります。
オーロラの撮影は順調です。この時期は空気が澄んでいるのでかなりいい感じで撮影が出来ています。
君に2年前に送ってもらった「ニコンD3」のおかげで快適に撮影が出来ます。それまではD200を使っていたので高感度撮影時のノイズが気になっていました。D3はISO 800でも一切ノイズが出ずISO 6400まで感度を上げることが出来るので助かっています。そう言えば今度「ニコンD4」が発売になるようなので16メガピクセル、ISO 204800でぜひオーロラを撮影してみたいな。
動画機能もかなり期待できそうです。
1〜2年後には何とか買いたいな。
今思えば2年前に「ニコンD3」購入資金を捻出するために「Aiニッコール16ミリF2.8s」を手放してしまったことを後悔しています。君にはわからないと思いますが、180°の画角で天空を写すことが出来る魚眼レンズです。マニュアルフォーカスレンズなので、いずれはオートフォーカスの魚眼レンズを買おうと思いつつ、いまだに買えません。
昔、若くて、貧しい夫婦がクリスマスプレゼントに、夫は妻の美しい長い髪を留める髪留めを、妻は夫のお気に入りの懐中時計の鎖を買って帰ったところ、妻は髪を切って売って鎖を買い、夫は時計を売って髪留めを買った。お互いにもらった物を使う場所を失っていた。
そんな話を思い出してしまいました。
つまらないことを書いてすみません。
オーロラの写真は売れています。インターネットのストックフォトサイト3ヶ所に登録していて、オーロラ以外の写真も含めて合計で約5000枚の写真を販売しています。こんな地球の果ての町にいても、世界に向けて写真を販売できるなんて、僕がカメラマンになった15年前から考えると夢のようです。
登録しているストックフォトサイトは世界をネットしているので日本でも僕の写真が買えます。今のところコンスタントに毎月15万円ほどの売り上げがあるので、1人で生活する分には何とかなっています。
オーロラにはまったのは君と2人でスウェーデンを旅した時でしたね。君の友人であるリチャードとヘレナを訪ねてストックホルムに行き、冗談半分に「オーロラの写真が撮りたい」と僕が言ったのがきっかけでした。9月のスウェーデンでオーロラが見えるわけがないと思ったのに、リチャードが「そんなことはない。北極圏に行けばこの時期でもオーロラが見える」と言い張り、詳しく調べてくれたのがきっかけでした。
パリに行く日程を変更し、リチャードが調べたキルナに3日間滞在し、ラッキーにも撮影に成功したとき僕は有頂天になりました。まだフィルムで撮影していたので、東京に戻ってラボから現像が上がってくるまで心配でしょうがなかったことを思い出します。さらにその写真がストックフォトで売れて、新宿西口のビルボードに12メートルの大きさで掲示されたとき「これは僕のライフワークだ!」と思ってしまったのです。
しばらく経ってからこの思いが僕の中でどんどん大きくなり、君に打ち明けたとき「寒いからいやだ!」と一蹴されたときは力が抜けてしまいました。
それはそうですよね、君が経営しているコンサルティング会社も順調に業績を伸ばしているのに「僕の夢に付き合って北極圏に移り住んでくれ」と言っても、付き合ってもらえないことはわかっていました。ただ僕は英語が出来ないので、英語が堪能な君が一緒に来てくれれば、撮影も生活も順調にいけると思ったのです。
今ではもうだいぶ慣れて、かたことの英語と地元の言葉で何とかやっています。
そう言えばリチャードが、日本人のオーロラ観測ツアーのガイドの仕事を探してきてくれて、1ヶ月に2回くらいガイドの仕事もしています。
わかっていても、さすがに離婚届の用紙を受け取ったときにはショックでした。
3日間ほど放り投げて見ないようにしていましたが、ちょっと日本がなつかしくなって、YouTubeで日本の音楽を探していて、うっかり「さだまさし」の「風に立つライオン」を押してしまいました。この曲は日本人の青年医師がアフリカで医療活動に従事しているとき、日本に残した恋人から結婚したとの手紙をもらい、その返事の手紙が曲になっています。実話にもとづいていると知り、聴きながら涙があふれました。3回聞きましたが、3回とも泣きました。その青年医師と自分を重ね合わせたわけではありません。かたや医者で志高く、多くの人に望まれて仕事をしているのに、僕は誰に望まれたわけでもないのに、勝手に1人で好きな事をしているだけで、志などないですから。
何で泣けるのか考えてみましたが、ただただ情けない自分に泣けたんだと思います。
でもこの曲を聴いて吹っ切れました。
離婚届は明日発送します。
これで僕には、東京に帰る場所が無くなってしまいました。
あ、僕の荷物は札幌の母のところに送っておいて下さい。
お手数かけます。
母にはこの件を連絡しておきます。
リチャードとヘレナには僕から話しておきます。こちらでは籍を入れない夫婦がほとんどですからあまり気にしないと思います。
あと2年くらいこの地で自分の夢を追いかけてみようと思います。
僕は「風に向かって立つライオン」ほど志も、使命も、格好良さもありません。
では、何故写真を撮っているのかを考えてみました。
僕らは子供を持ちませんでした。
後世に継ぐ物は何もありません。
せめて、自分が撮った写真を残したい。
自分の納得出来る物を、後の世に残したい。
それがこの時代に、1人の人間が、男が、生きていた証となるような・・・
そんな写真が撮りたい・・・
極北のダメ男より
「風に立つライオン」さだまさし
↑ ここを押すと曲が聴けます。
※この手紙はフィクションです。
※人物は実在しません。
※モデルもいません。
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