2011年7月4日月曜日

「Hasselblad」その2  そして僕はハッセルを買った

HASSELBLAD
 秋深い日の午後、僕は肩掛けカバンを斜めにかけ代々木駅前に立っていた。カバンの中には郵便局から下ろした50万円が封筒に納められて入っている。

何年ぶりかで大学の恩師に電話をかけた。アシスタントをしていたU師匠のところをやめたことなどを話したあと、ハッセルを安く購入するアドバイスを請うた。教え子の中にカメラ店や、輸入元に就職した先輩がいることを期待したのだ。

 恩師に紹介されたカメラ店が代々木の駅前だった。その店は駅前にあるが、とても小さくどう見ても町の写真屋にしか見えない店構えだった。店はすぐわかったのだがしばらく入るのを躊躇して外からショウウィンドウを眺めていた。ガラスのウィンドウの上の方には新品のニコンやキヤノンが、下の棚には中古のカメラが5~6台並べられていた。その下の棚の隅のほうにハッセルブラッド正規輸入品取扱店章を確認して、僕は店内に入った。客は1人もいない。店の奥のカウンターの向こうに店主らしき人物がいた。
 先生から紹介されたことを話し、さらに最近プロになったこと、ハッセルを買うために50万円貯めたことを話し本題に入った。僕が欲しかったのは500C/MボディとA12マガジン、ゾナー150ミリF4レンズ、それとポラマガジンだった。

CF150ミリ、最初に買ったのはCのブラックだった
ハッセルブラッドは標準セットとしてプラナー80ミリF2.8とボディとフィルムマガジン一式で売られている。僕は80ミリ標準レンズより150ミリ望遠レンズが欲しかった。ファッションや人物撮影では背景をぼかして人物を強調することが多い。そのためのレンズが150ミリなのだ。当時ボディとマガジンで20万円、150ミリレンズが30万円、ポラマガジンが7万円位したと思う。

 店主は僕が欲しいものを全てガラスのショウケースの上に取り出し、さらに透明のゴムマットを敷いて箱から中身を取り出した。
左右がさかさまに写る。慣れないと動きを追うことができない。
 うながされて、僕は500C/Mを手にとり150ミリを装着した。引き蓋を引いてシャッターを切ってみた。『シュッ、ポン』に近いこもった音が響いた。キリキリと巻き上げ、もう一回シャッターを切ったあとフォーカシングフードを開いた。『カシャカシャ』と3枚の遮光プレートが起き上がる。レバーをスライドさせルーペをセットしてファインダーをのぞいた。操作には慣れている。くるりと入り口の方を向き、ガラス扉の外の景色にピントを合わせてみた。ルーペを納め、ファインダースクリーン全体を確認し店主の方に向き直った。ちょっと口角が上がっていたと思う。
 あとは金額の話だ。事前に量販店で確認した総額ではゆうに予算を超えていた。店主は電卓を押したあとこちらに向けて総額を提示し、それを僕の予算50万円ちょうどに値引きしてくれた。普通あまり値引きしない商品なのだがたしかに安くなっていた。最後の一押し、あとレンズフードも付けて欲しいと交渉したがそれは拒否され、もう一押し「サイドレールに付けるアジャスタブルフラッシュシューありますか?」ガラスケースの中からそれが出てきたところで「それは付けてもらえませんか?」と頼み込み、交渉が成立した。

サイドレール
ハッセルを使って仕事をするにはシステムで揃えることが必要で、ボディは予備を含めて2台、レンズは50ミリ、80ミリ、150ミリの3本が基本で、フィルムマガジン2個、ポラマガジン。以上で最低限度のセットになる。レンズは1本30万円近いし、フィルムマガジンだけでも8万円(これでニコンのカメラが1台買える)。細かなアクセサリーを含めると200万円近い投資が必要になる。さらに120ミリマクロレンズや250ミリ望遠レンズなどを加えると驚くほどの金額になる。

 ハッセルブラッド500C/Mを購入したもののしばらくはこのカメラの出番はなかった。最初の仕事は取材もの、その後ファッション撮影の仕事がすぐに来たが、どれも機動性を求められニコンで撮影した。ただハッセルはロケの時も持ち歩いてポラカメラとして使っていた。ニコンで撮影する前にハッセルでポラを撮って編集者に確認、さらにモデルに見せてコミュニケーションを取る。ポラを見せると慣れないモデルの娘は「こんなふうに撮れるんだ」と納得し、不安が解消されとたんに表情が良くなる。
そんな役割をした僕の初代ハッセルブラッド500C/M、150ミリ、ポラマガジンたちは、他のレンズやマガジンが増えることなく僕の手を離れ、知り合いのカメラマンに譲ってしまった。
その後はより機動性のあるブローニーカメラ、マミヤ645を使い始め、スクエアーサイズの6×6より雑誌の比率に近い645サイズがメインカメラになった。
それでも何年か経ち、少し経済的に余裕ができると「ハッセルは手元に置いておきたい」ともう一度買い集め、ボディ2台、レンズ3本、フィルムマガジン4個、プリズムファインダーその他アクセサリー一式が何時でも撮影できる状態になって今もある。

ただし、今後は仕事での出番はおそらくない。
真四角な6×6サイズは作品撮影用カメラとして長く使い続けたいと思う。

 僕の手の中に500C/Mがある。マガジンを外しボディ番号を見ると
「RP128・・・」
V  H  P  I  C  T U  R E S
1  2  3  4  5  6  7  8  9  0
上記コード表より、最初のアルファベット「RP」は83と読め、1983年製であることがわかる。
製造後30年近く経っているせいか、シルバークロームのボディの輝きが少し鈍くなっている。
機構は時を経ても何の衰えもない。
機械式カメラは、しまい込むことなく時々操作をすることによってずっと使い続けることができる。

これだけ古ければ、これ以上古くなることはない。

この項おわり

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