2013年8月29日木曜日

超おすすめの便利グッズ「カメラレインボー」


 いつ買ったのか記憶が定かではない。
製品の名称もわからない(製品に書いてないが、今やロケにはなくてはならないもの。それを今回ご紹介したい。

それはこれ!

表が銀、裏が黒い、直径60cm位の丸い布。ラベルに「LAMDA」と書いてある。
これがすごい!!
便利!

まずは、突然スコールのような雨が降ったとき、カメラにすっぽりかぶせて雨をよける。
それでも撮影しなくてはならないとき、レンズの先端部分だけ出して撮影を続ける。
晴れていて眩しいとき、日除けとしても使える。

まわりが明るすぎてカメラのモニターが見えないとき、被ったまま撮影すればモニターチェックも問題なく見える。
荷物が増えてカメラバッグに入らなくなったとき、周囲に付いている紐を絞れば巾着のようになり収納ポーチになる。
その状態で三脚にぶら下げればストーンバッグになり三脚の安定性が向上。
片面銀、片面黒なので、銀にして小さなレフ板、黒はガラス越しに撮影するとき周囲の写り込みをカットするのに使用。
移動中に雨が降ってきたらカメラバッグにすっぽりかぶせてレインカバーに。
などなど、様々な状況で役に立つのでロケには欠かせない便利グッズである。
しかし、誰も使っているのを見たことがないし、誰も話題にしていないので知っている人、ましてや使っている人は少ないんだろうと思う。




ポーチとして


たまたま僕のスタジオでのセミナーで『こんな便利なものがあって、ロケには欠かせない必須アイテムです。ただし商品名がわからないし、だいぶ前に買ったので現在も販売中かはわかりません』と参加者に紹介したら、その日の内にメールで連絡をもらいました。「秋葉原のYドバシカメラにありました。商品名は『カメラレインボー』早速買いました」とのこと。
商品名がわかったのでネットで検索してみたら、ありましたメーカーのサイト
さらに、Yドバシカメラでは3,000円ほどで販売されていました。
絶対お薦め。

その他にも使いみちは限りなく
ストーンバッグ
モデルを地面に座らせるときの座布団がわり・・・
防水加工がされているので、いざというときに水を運ぶ・・・
スイカを持って歩くときにちょうどいい・・・
海に落ちたときに浮き袋がわり・・・
などなど・・・



レインカバー
とにかく、カメラバッグに入れっぱなしにして間違いなく重宝するお薦めグッズ。


それにしてもなんで「カメラレインボー」なんだろうね?




2013年7月24日水曜日

僕のお気に入り「Ai AFニッコール28mm F2.8S<New>」


安いレンズはだめなのか?

最近発売になった「AF-S NIKKOR 28mm f/1.8G」のスペックを見てみると
9群11枚(非球面レンズ2枚、ナノクリスタルコート)

以前からあった現行レンズ
「Ai AF Nikkor 28mm f/2.8D」は
6群6枚

レンズの開放F値を明るくすることは収差を増大させることにもなり、その収差を補正するためにレンズの構成枚数を増やし、それによって値段も跳ね上がる。
28mm f/1.8G¥93,450
28mm f/2.8D¥40,950
「一絞り明るくなるとレンズの値段は2倍になる」という法則にのっとって(そんな法則はない)一絞りと三分の一明るいレンズはみごとに2.28倍の値段である。
最新の設計、最新のコーティングを施された最新のレンズは確かに20年近く前の設計のレンズより良いことは間違いないだろう。もし、今使っているレンズに不満があったらすぐにでも買い換えるだろう。でも今使っているレンズは僕のお気に入りなので替えるつもりはないのだ。

僕が今使っている28ミリは、現行ニッコール28ミリの一つ前の世代の「Ai AF Nikkor 28mm F2.8S<New>」
1986年に発売された「AFニッコール」第一世代のフォーカスリングをラバーフォーカスリングに変え、1991年に発売した<New>タイプである。後に1994年、レンズ構成を新しくし、最短撮影距離を0.3mから0.25mに短縮した「D」タイプの現行品に変わった。
現行品の「D」は6群6枚構成だが、一世代前の「S<New>」は5群5枚で、今よりさらに枚数の少ないシンプルなレンズ構成になっている。

僕の勝手な思い込みだが、レンズ構成枚数の少ないレンズはヌケがいい。
いかにコーティング技術が向上して、レンズ表面の反射による光のロスがなくなったとはいえ、ガラス内部でも光は吸収される。当然レンズ合計の厚みが2倍になれば、吸収される光も2倍になるはずだ。

11枚より6枚、6枚より5枚でレンズが成立するならば、僕は5枚のレンズで十分だ。最初にそう思ったのは、「ニコンレンズシリーズE28ミリF2.8」を使ったときだった。
その頃僕は「Aiニッコール28ミリF2S」を使っていた。当時あった「F2.8」や「F3.5」のレンズに比べれば高価なレンズだったが、それほど満足出来るレンズではなかった。レトロフォーカスタイプ特有の四隅が「ガクッ」と落ちるレンズで、開放F2やF2.8位では周辺に問題があり、中央部しか使い物にならない。やっと周辺まで使えるようになるのはF5.6からで、実際それより開けて使うことはなかった。
そんなとき「日本では販売しなかったニコンレンズシリーズE28ミリF2.8」を手に入れた。
(詳しくは「幻のニコンレンズE28を買う」の巻のブログをお読み下さい)
http://kodawaricamera.blogspot.jp/2011/08/e28_19.html
この軽量、安価なレンズがなかなか侮れない。開放F2.8はハッキリ言って「Aiニッコール28ミリF2S」のF2.8より良かったくらいだ。それでしばらくの間はE28は仕事用メインレンズの一つとして使っていた。

それからしばらくしてAFの時代になり次第にAFズームレンズが仕事レンズの中心になり、デジタルの時代になった。
仕事上は便利なズームレンズで十分だったが、一通りの単焦点レンズもAFレンズで揃えることにした。
その時に気になったのがこのレンズ「Ai AF ニッコール28ミリF2.8S <New> 」だった。
何故気になったか?
このレンズは幻の(日本では発売されなかった)「ニコンレンズシリーズE28ミリF2.8」そのモノだったからだ。

レンズシリーズE28とAF ニッコール28の構成図
5群5枚のレンズ構成は構成図を見れば明らかなようにまるで同じ構成だ。中古で購入した「Ai AF ニッコール28ミリF2.8S <New> 」の写りはE28と同じ、ヌケが良くクリアーであった。加えて、E28のシングルコーティングからAF28はマルチコーティングになっている。E28の頃でも逆光でのフレアーなどが気になることはなかったが、マルチコーティングになっているのでさらに安心感がある。

シングルコーティングのE28
マルチコーティングになったAF28


ラバーフードHR-6
レンズフードは「HN-2」が指定のものだが「HR-6」を付けて使っている。これもE28専用フードで、日本で見かけることはない。フードを付けたままでレンズキャップが付けられ、折りたたみも可能なゴムフードなので格段に便利だ。















LW Nikkor 28mm F2.8
幻の「ニコンレンズシリーズE28ミリF2.8」がかたちを変えて日本に初登場したのがこの「Ai AF ニッコール28ミリF2.8S 」かと言うと実はそうではない。1983年ニコノス用陸上専用レンズとして発売した「LW Nikkor 28mm F2.8」も実はレンズシリーズE28の5群5枚レンズであった。このレンズはニコノスV等に付けて目測で撮影するもので、あまり注目されることもなくいつの間にかフェードアウトしてしまったものでE28よりもっと幻のレンズになってしまった。
NEVER use underwater














現在は販売されていない「5群5枚28ミリF2.8」レンズであるが、今までに「ニコンEM等のコンパクトフィルム一眼レフ用」「水中カメラニコノス用陸上専用レンズ」「初期AF一眼レフ用レンズ」として、3回かたちを変えてニコンに装着されてきたニコン秘蔵の「安価」「コンパクト」28ミリである。ある意味「信頼の逸品」である。
今後もいつか、かたちを変えて4度目の登場があるかもしれない。

2013年7月16日火曜日

僕のお気に入り「Ai AF ニッコール70-210 F4S」


AF ニッコール70-210 F4S
久々にこのレンズを引っ張り出してみた。

ニコン初の本格的なオートフォーカス一眼レフカメラ「ニコンF-501」の発売に合わせて、1986年に発売したAFニッコールレンズの最初期のレンズだ。レンズ構成は直前まで販売されていた「ニコンレンズシリーズ E70-210mm F4」と全く同じで、AFカメラの発売に合わせて大量のAFレンズを供給しなければならないため多くのレンズはAisレンズが流用された。
当時は「Aiニッコール80-200mmF4S」も同時に販売されていたが、「ニコンレンズシリーズE70-210mmF4」は低価格であるが、描写に関しての評判が良くヒットレンズであった。そのためAisレンズを差し置いてAFレンズに採用されたものと思われる。しかし、AFレンズとしての寿命は短命で、1987年半ばまでの約1年で「AFズームニッコール70-210mmF4-5.6S」にバトンタッチした。

80-200や70-200のズームレンズは望遠ズームの花形レンズであるが、何故このレンズが短命だったかを今回このレンズを改めて引っ張り出して考えてみた。
同スペックではコンパクトだし、画質は今回試しに写してみても十分満足のいくものだった。


考えられる問題点は、フォーカシングが前群繰り出し式で回転角も大きく、繰り出しに時間がかかる事だろう。無限遠から最短撮影距離の1.5mの先の(M)マクロまで約180° 専用フードを付けた状態で往復する様はとても「スムースなフォーカシング」とは言えない。そこでAF用に新設計した「AFズームニッコール70-210mmF4-5.6S」に切り替えたのだと思うが、このレンズは210mm時に開放がF5.6になり、僕にとってはあまり魅力的ではなかった。

最近発売になった「AF-S NIKKOR 70-200mm f/4G ED VR」で思い出して引っ張り出した「Ai AF ニッコール70-210 F4S」だが、VRは付いていないがその分全長が約3cm小さく、90g軽い。ナノクリスタルコートではないが、特に強い逆光でなければ問題になることはない。問題のフォーカシングだが、ピントを探して行ったり来たりすることがなければそれほど時間もかからない。つまり、1.5mと10mに交互にピントを合わせるような過酷な動作をしない限りフォーカシングも特に問題にはならない。

現在は、グラビア系ロケ撮影は「Ai AF-S NIKKOR ED 80-200mm F2.8D(IF) 」がメインレンズなので、2本のレンズの重さを比較してみると半分以下の760g、これなら手持ち撮影も可能だろう。

「Ai AF ニッコール70-210 F4S」を買う前から使っていた「レンズシリーズ E 70-210mm F4」はニコンF3とセットで様々な仕事で使用した。当時テレビ番組雑誌の仕事が多く、テレビスタジオでドラマ収録中に俳優のアップを撮影するのにこのレンズを使っていた。ドラマの照明下で撮影するためフィルムはタングステンタイプのポジフィルム、プラス1増感しても早いシャッターは切れない。この頃は210mmでシャッタースピード「1/15」までなら手ぶれしない自信があった。「AF-S NIKKOR 70-200mm f/4G ED VR」には「VR」が付いており「4段分の手ぶれ補正効果」が期待できる。当時このレンズがあったなら「1/15」の4段分、「1秒」でも手ぶれしなかったのか・・・。
ま~今でも腕は衰えていないので、「AF-S NIKKOR 70-200mm f/4G ED VR」は当分お預けにして、次の撮影で「Ai AF ニッコール70-210 F4S」をメインで使おうと思う。

皆さんも中古レンズでこのレンズを見かけたら、ぜひ手にとってみて下さい。
僕はお薦めします。

ちなみにこの写真に写っているフォーカスリングはオリジナルではありません。
僕がMF操作向上にため自分で付けたゴムリングです。 

                    レンズ構成 最短撮影距離 フィルター径 大きさ   重さ
Ai AF NIKKOR 70-210 F4S          9群13枚  1.1m(M)   62mm   76.5×148 760g
AF-S NIKKOR 70-200mm f/4G ED VR    14群20枚  1m       67mm   78×178.5 850g
AiAF-S Nikkor ED 80-200mmF2.8D(IF)14群18枚  1.5m             77mm   88×207  1580g



2013年7月7日日曜日

ライカレンズを全部買う その6 「さらに超広角21ミリ」



スーパーアンギュロン

 ライカMシリーズの内蔵レンジファインダーがカバーしているのは広角28ミリから望遠135ミリまでである。この28ミリをカバーしたのはM4-P以降で、M3は50ミリまで、M2・M4が35ミリまででM4-P・M6で28ミリファインダーが内蔵された。
 それ以降でも21ミリは外付けファインダーでフレーミングをしなければならない。ライカMシリーズで28ミリ以上の広角(24・21)ファインダーフレームを内蔵したカメラは出ていない(コシナ製ベッサには21ファインダー内蔵Mマウントカメラがある)。

 内蔵ファインダーでピントを合わせ、外付けファインダーでフレーミングをするという面倒な作業をライカ使いはバルナックタイプの頃から強いられていたのだ。
 現実には外付けファインダーが必須なのは24ミリと21ミリ、現在は18ミリがあり、それとホロゴン15ミリで、全て被写界深度の深い超広角レンズであるので、「置きピン」で撮影すればフォーカシングの手間は省くことが出来る。ベテランのライカ使いは、フォーカスレバーの位置でだいたいの距離を覚えていて「人差し指がこの辺で3m、ココまで来ると1.5m」等と指の感覚でピント合わせをするので、ピント合わせにさほどの不便を感じていないと思う。

 そして、ライカ純正の外付けファインダーの素晴らしさは前回書いた通りである。
そこで僕が、28ミリの次にねらいを定めた超広角が21ミリであった。
その頃はアスフェリカルのエルマリート-M21ミリF2.8がライカ現行品であったが、当然めちゃくちゃ高い。「古い」「暗い」「ぼろい」を我慢すれば「安い」ライカレンズが手に入ることがわかっているので、最初に探したのが「スーパーアンギュロン21ミリF3.4」であった。このレンズはまだライカが21ミリ超広角を製造できない時代に、同じドイツの光学メーカーシュナイダー社が製造したものだ。それ以前にも同じくスーパーアンギュロン21ミリF4がLマウント、Mマウント両マウントで出ているが、こちらは製造本数が少なくレアなため、数が多く出ているF3.4の、さらには後期型のブラック仕上げをネットで探し、最安値のものを10万円ほどで購入した。さらに外付けファインダーも探してプラスチック外装のものを2万円ほどで購入した。

 レンジファインダーカメラを使う最大のメリットは広角レンズにある。
マウントからフィルムまでの距離、すなわちバックフォーカスの長い一眼レフ用広角レンズと、ボディ内部にミラーなどがないため、マウントからフィルムまでの制約を受けずに設計が出来るレンジファインダーカメラ用広角レンズを簡単に分類すると、
レンジファインダー用広角=対称型広角レンズ
一眼レフ用広角レンズ=レトロフォーカスタイプ
と分けることが出来る。

マウント面からボディ内にレンズが深く入り込む
対称型広角レンズとは、
レンズ群中央部にある絞りを挟んで被写体側のレンズ構成と、フィルム側レンズ構成が対照的である。
これによって利点として「線対線対応」が保たれ直線が直線として描写される=歪曲収差を軽減することが出来る。他には全体として小型化が可能である。
欠点としては周辺光量の低下があげられるが、これは絞り込むことによって改善が望める。

最初期のニッコール20ミリF3.5
対する一眼レフ用広角レンズ=レトロフォーカスタイプは
ボディ内の可動ミラーをさけるためレンズ群全体をボディの外に構成しなくてはならないため、最前部に強い凹レンズを配する必要がある。このタイプを逆望遠タイプ(インバーテッドテレフォトタイプ)と称し、このタイプを最初に商品化したアンジェニュー社の製品からレトロフォーカスタイプと称することが多い。

 欠点としては、明るさを確保するためにはこの凹レンズの口径を大きくする必要があり、レンズが大型化してしまう。絞りを挟んだ前群と後群の構成が大きく異なるため歪曲収差が除去しにくく、樽型に歪む歪曲収差が残りやすい。
 利点としては周辺光量の低下を防ぐ事が出来るため、対称型広角特有の周辺光量低下がなく、画面全面に均質の明るさが保たれる。そしてこの部分を欠点・利点と言うより、2つのタイプの広角レンズの「違い」と捉えることが出来るのだ。

 対称型広角レンズのスーパーアンギュロン21ミリF3.4は周辺に行くにつれ光量が低下する「広角らしい描写をする」素晴らしいレンズなのだ。
一眼レフ生まれ、一眼レフ育ちの僕はニッコール28ミリF2の描写が28ミリの描写だと思い込んでいた。それが、ミノルタCLEの28ミリF2.8で撮影した写真を見て「これぞ広角レンズの描写」と思った要因はこんなところにもあったのでと思う。
 レンズの描写にも充分満足した「スーパーアンギュロン21ミリF3.4」であったが、僕のレンズは「黒」レンズで、フォーカシングレバーが固定式であった。聞くところによると、シルバー仕上げの初期スーパーアンギュロンのフォーカシングレバーは無限遠ストッパーが付いているという。これも欲しくなり、外観キズ有りのシルバー仕上げと専用フード12501を追加購入。あわせて12万円ほど。
スーパーアンギュロンとフード、ファインダー

ところで、このスーパーアンギュロン気を付けないと、初期ものはライカM5には取り付けられない。M5の測光アームがレンズ後端にぶつかってしまうからだが、製造番号2473251以降のレンズはM5の測光アームが出ないように工夫されている。
それと、M6以降の露出計内蔵ボディに付けても測光路をレンズ後端が遮ってしまうため測光できない。
そんな不具合に対応したライカ純正21ミリレンズが1980年に発売されたエルマリート-M21ミリF2.8である。
ライカM6にスーパーアンギュロン21ミリを付けた場合のシミュレーション

1)被写体を発見して外付けファインダーでフレーミングをする
2)内蔵ファインダーを覗いてピントを合わせる(慣れればこの手順は省くことが出来る)
3)単体露出計を用いて露出を測る
4)測った露出(絞り値)をレンズに合わせる
5)外付けファインダーを覗いてシャッターを切る

正確な測距・測光を求めると、こんな手順を踏まなければならないことになる。
ならばと、エルマリート-M21ミリF2.8を買ってしまった。
このレンズはレンジファインダーカメラ用だがボディ内のめり込みを減らすためにレトロフーカスタイプを採用している。そしてライカ純正最初の21ミリレンズである。
このレンズを使いM6で撮影する場合のシミュレーション

1)被写体を発見して外付けファインダーでフレーミングをする
2)内蔵ファインダーを覗いてピントを合わせ、絞りを加減して露出を合わせる
3)外付けファインダーを覗いてシャッターを切る

このようにスナップ性が格段に向上する。
しかし、描写はスーパーアンギュロンのほうが確実にシャープな写りである。特にエルマリート-M21ミリを開放付近で使うと、中心部は問題ないが周辺部は何となくシャープさに欠けモヤッとした描写になる。もちろん少し絞れば描写は格段に良くなり、周辺光量低下も少なく使いかっては格段に向上する。

そんなわけで、21ミリレンズは3本。
これで、「ライカレンズを全部買う」顛末は、
「その1」コンタックスG1がカバーしていない90ミリ以上の望遠をカバーしようと購入した「エルマリート135ミリF2.8」に始まり、135ミリ2本。
「その2」35ミリ数えきれず。
「その3」50ミリ数えきれず。
「その4」90ミリ6本。
「その5」28ミリ2本。
「その6」21ミリ3本。
純正ライカレンズの中の15ミリ(ホロゴン)、24ミリ、75ミリを除いて30本ほどを購入し、ほとんど満足して僕の興味はハッセルブラッドへと移っていた。現在はトリエルマーなどの多焦点レンズ、18ミリ、90ミリマクロなど更なる展開をしているライカレンズだが、その後は僕のライカレンズは増えることなくとどまっている。さらにはカールツァイス製Mマウントレンズ、コシナ製、フォクトレンダーブランドなどMレンズはとどまるところを知らない展開を続けて行く事だろう。

「ハッセルブラッドを全部買う」を書く機会が訪れるかわからないが、「ライカレンズを全部買う」シリーズはいったん終了。


2013年1月6日日曜日

ライカレンズを全部買う その5 [超ワイドはどうか?]


正面にCANADAと書いてあるエルマリート28
 前回の[90ミリの巻]のあとだいぶ間があいてしまいましたが、
今回はライカレンズの超ワイドの話。

 ライカがレンズ交換式バルナックタイプをだした頃から、標準50ミリ、広角35ミリ、望遠90ミリは3本のレンズで「ライカの標準セット」ような組み合わせであった。

 35ミリより広角レンズが出たのは、1930年頃に発売された広角35ミリから5年ほど後、当時としては超広角レンズ「ヘクトール2.8cmF6.3」が発売、超広角時代が始まったのだ。
 そして、F6.3という超暗いレンズはその後、20年の時を経て「ズマロン28mmF5.6」になる。半絞り明るくなるのに20年、いかに当時超広角レンズの設計が難しかったかを物語っているかのようだ。
 この2本はLマウントだが、Mマウントの28ミリは「M3」が発売になって11年後の1965年「エルマリートM28mmF2.8」が発売されやっと明るさがF2.8になった。
 そしてライカMマウント28ミリはエルマリートF2.8がレンズ構成を変えながら延々と唯一の28ミリとして販売され、明るさがF2の「ズミクロンM28mmF2」が発売されたのは2000年になってからである。

 僕が最初に買ったライカ用28ミリは「ミノルタCLE用 M-ロッコール28mmF2.8」だった。ボディは当時ライカは持っていなかったので「ミノルタCLE」。しかし、このレンズのおかげで僕は一眼レフ用28ミリとレンジファインダー用レンズの明らかな違いに気付いてレンジファインダーカメラにのめり込むきっかけになったのだ。
 その後ライカM6を購入してもしばらくの間、このM-ロッコール28mmF2.8を気に入って使っていた。
 ただし、要注意なのはM6に付けても28ミリのファインダーフレームが表示されないこと。もともとミノルタCLE用なので、ライカに付けると35ミリファインダーが表示されてしまう。
 なぜこうなったかと言うと、ライカはレンズマウント部の爪の長さを焦点距離毎に微妙に変えていて、この爪でファインダーフレームを切り替える機構になっている。そして、ライカでは28ミリと90ミリがセットでファインダーフレームが表示される。ミノルタCLEは40ミリと、28ミリ、90ミリの3本のレンズが供給され、レンズ交換毎にそれぞれのフレームが表示される。ライカの機構を模してはいるのだが、ライカの通りにすると28ミリと90ミリでフレーム切り替えができないため、28ミリには35ミリフレームに対応する爪を使った。そのため、CLEでは28ミリフレームが出るが、ライカに付けると35ミリフレームが表示されてしまう。ファインダーを覗くたびにファインダー切り替えレバーを倒して28ミリフレームを表示しなくてはならないのだ。
 でも、実際はM6の28ミリフレームはメガネをかけている僕にはすごく見え辛く、フレーム全体を見るには接眼部に思いっきりメガネを押し当てないと見えなかったのだ。そしていつしか、レバーで28ミリに切り替えることなく、ファインダーに自然に目を押し当てて、見える全視野が28ミリ相当だと気付いて問題なく使えるようになった。
 次に購入した28ミリは、これも日本製「アベノン28mmF3.5 - Lマウント」にMマウントアダプターを付けてM6で使った。だいぶ後になってやっと第4世代「エルマリートM 28mmF2.8」を購入したが、アベノン28ミリはどうしても手放せず結局エルマリートより出番が多かった。
理由は、
決してアベノンはエルマリートより写りがいいわけではない。
周辺光量落ちがかなりある。
F8まで絞ってもまだ気になるくらいだ。
でも、使った理由は。
 レンズが薄いので、ファインダーを覗いたとき、一切ケラレが無く、前述の方法で全視野が見渡せるのだ。
 では、ライカ エルマリート28ミリF2.8は、
レンズがでかいので、鏡胴がファインダー視野を遮ってしまい、画面の右下 1/4程が全く見えなくなるのだ。フードなんか付けたら完全に 1/4見えなくなってしまう。
このフードも、いかがなものか
そんなわけで、
アベノンをF11まで絞って使っていたのだが、あるとき、ライカの外付けファインダーに出会ってしまいアベノンを卒業した。
ご存じライカの『高い』外付けファインダーだが、うっかり覗いてしまって、とりこになってしまった。
 『明るい』思わずこう叫んでしまった上、即購入。
ファインダーってだいたい暗くなるものでしょう?
でもライカの外付けファインダーは覗くと外より中の方が明るいのだ。嘘だと思うなら覗いてみて!

正面にLEITZと書いてあるが、CANADA製
そんなわけで、
M6に「エルマリート28ミリF2.8」を使うようになってから、同じ世代で「LEITZ」表示のものと、「LENS MADE IN CANDA」のものを2本買ってしまった。
どっちもカナダ製で、写りに変わりはありませんでした。

2012年3月29日木曜日

ライカレンズを全部買う その4 [90ミリの巻]

前回書いた50ミリはライカの標準レンズである。何が「標準」なのか?
最初のライカ(1925年発売Leica I )についていたレンズが、ライツ・アナスチグマット50ミリF3.5だったので50ミリが標準レンズと呼ばれるようになった。
小型カメラの始祖と呼ばれるライカが基準になったものが結構ある。そもそも35ミリフィルムサイズの24×36ミリの画面サイズのことをライカ版という。
現在のデジタル一眼レフの「フルサイズ」と呼ばれるものも、このライカ版の24×36ミリが基準になっている。

で、50ミリを標準としてそれより焦点距離の短いものを「広角レンズ」(40ミリ位までは標準レンズに含まれるので35ミリ位からが広角レンズと呼ばれる)焦点距離の長いものを「望遠レンズ」という。
たとえば、100ミリの望遠レンズは、100÷50=2 なので2倍の望遠、500ミリだと、500÷50=10 なので10倍の望遠レンズになる。
10倍の望遠レンズで撮影すると、10メートルの距離にあるものが1/10の1メートルの距離にあるように写る。
今は一眼レフで300ミリの望遠レンズくらいは当たり前になってしまったので、望遠と言っても135ミリが限度のレンジファインダーにおいては望遠レンズはあまり人気がない。
一眼レフに300ミリを付けてのぞくと6メートルの距離にいるライオンが1メートルの距離にいるように拡大されて見えるけれど、ライカに135ミリを付けてのぞいてもちっとも拡大されず、ファインダーのフレームが小さくなるだけ。なので、あまり人気のないライカの「望遠レンズ」が今回のテーマ。
ライカの90ミリについて。
確か僕が最初に買った90ミリは「エルマー90ミリF4 沈洞式」だったと記憶している。レンズとしては1830年代からある物で、スクリューマウントの太鏡胴から細鏡胴、Mマウントと外装の変遷があった後、同じ3群4枚のレンズ構成の物を沈洞させてコンパクトに収納できるようにしたものだ。仕掛けも凝っていて、完全にレンズを使用状態まで引き出さないとピントリングが回らない構造になっており、うっかり沈洞したまま撮影することを防いでいる。古い設計のレンズなので比較的柔らかな描写でクラシックな写りだ。沈洞すると50ミリと同じくらいの大きさになるのでM3に付けっぱなしにして良く持ち歩いた。
次に購入したのが「テレエルマリートM90ミリF2.8」の後期の4群4枚構成のもの。エルマーに比べるとシャープでコントラストも高く写りの性格の違いがハッキリしている。外観は細身で「テレ」が付くレンズ構成のせいかとてもコンパクトで50ミリ標準レンズと見まごうほどの小ささだ。
さらに一つ前の「テレエルマリート90ミリF2.8」に初期5群5枚構成レンズが気になりネットで探してみた。こちらのレンズは比較的短命で、すぐに4群4枚構成に切り替わっている。比較的レアな為4群4枚より高価である。見た目には太めのレンズなので「ファット」と呼ばれ後期と区別されている。前期と後期を撮り比べた事はないが前期の方が柔らかな描写をするような印象がある。
この「ファット テレエルマリート90ミリF2.8」が90ミリの中では一番気に入っており、出番が最も多い。
次に購入したのが「エルマーC90ミリF4」
このレンズはライカCL用に販売されたもので、他のMボディに付けるとピント精度に問題が出る場合があるという。
僕のM6は2台とも問題なくピントは合致した。M3の時代にはボディのピント精度調整のため距離計連動コロを左右に動かして調整した物があるらしく、その場合には問題が出ることが多いようだ。以前ミノルタCLE用に購入した「ロッコール90ミリF4」と基本構成は同じはずだがロッコールは売ってしまい、ライカCLを購入したので、それに合わせて再度買ってしまったわけだ。

「エルマー90ミリF4 沈洞式」
「テレエルマリートM90ミリF2.8」
「テレエルマリート90ミリF2.8」ファット 
「エルマーC90ミリF4」

これだけあれば90ミリは充分だろうと思う。他には「ズミクロン90ミリF2」があるが、明るいが、重くて高いので興味なし。
ところがある日、
第二次大戦直後、ドイツからのレンズ供給が不足した為 Leitz New York が企画しアメリカのウォーレンサック社が製造したレンズがあることを知ってしまった。
「ウォーレンサック ベロスチグマット90ミリF4.5」である。
ウォーレンサック ベロスチグマットには50ミリ、90ミリ、127ミリの3種類あったようだが興味を持ったのが90ミリF4.5である。
ネットで探してみると、比較的簡単にしかもそれほど人気はないようで、値段も安かった。
安さに惹かれてアメリカから入手した「ベロスチグマット90ミリF4.5」は、鏡胴はスクリューマウントのエルマー90ミリと同じデザインで[Leitz New York]の刻印がある。安かったせいもあるがレンズの程度があまり良くなくスリ傷が多い。コーティングの問題もあってか写りはフレアーっぽいものであった。
おそらく「ウォーレンサック」のせいではなく個体差の問題だと思う。

そして、その個体差の問題を見極めるため「ウォーレンサック ラプター90ミリF4.5」もその後購入した。
ラプターはベロスチグマットの後期の物で名称を変更しただけでレンズはまるで同じものだ。

そんなわけで、
90ミリは6本。
最後に購入したラプターに関してはまだ一枚も写真を撮っていない。
なので『「ベロスチグマット」と「ラプター」両ウォーレンサックレンズの個体差による描写の比較』に関しては謎である。

まだまだ続くぞライカレンズ。

2012年2月14日火曜日

夢追いカメラマンさんへ〜元妻からの返信メール〜

夢追いカメラマンさんへ

返信遅くなりました。
離婚届受け取りました。

今日の東京は晴れています。
あまり気持ちが良いので新宿駅から地下鉄に乗らず、仕事場まで歩いてきました。
途中、中央公園のベンチで一休みをし、青空の写真などを撮りました。

5年位前でした。
あなたに「私も写真撮ろうかな・・」と言ってみたら、すぐに買ってくれたカメラがニコンの「クールピクスP5000」でした。
あなたは携帯電話やコンパクトデジカメで手を伸ばして写真を撮るのが大嫌いで、私が「なるべく小さなカメラがいい」と言ったにもかかわらず、
「ファインダーをのぞくタイプのカメラじゃないと許せない」と、買ってくれたのでしたね。
コンパクトデジカメにしては中途半端に大きくて、ほんとはちょっと気に入らなかったんですよ。
「1日1枚でいいから、毎日撮れ」とあなたに言われ、最初は頑張ってみましたが、1ヶ月ほどでへこたれてしまいました。
その、P5000も古くなったので、新しく出た「ニコン1 V1」を買いました。
あなたのこだわりのファインダーをのぞくタイプの方です。
レンズは「10ミリF2.8」にしました。
なるべく小さなカメラが良かったのに、また中途半端に大きいのを買ってしまいました。
でも、中央公園の青空がとてもステキに撮れました。

「オーロラの撮影は順調」とのこと、何よりです。
あなたの会心の作品をぜひ見てみたい・・・。

私の仕事は、順調です・・・とは言えません。
去年の業績はかなり落ちました。
商社に勤めていたときは「自分の能力が生かされていない」と感じ、思い切って大学院に入り直し、
念願の経営学修士を取りました。
そして、大学院の同期5人でコンサルティング会社を設立し、代表に就任し、やっと自分の能力を活かせる、
と思っていたのですが・・・
2人が辞めてしまい、今は現状維持が精一杯の状況です。
何度も「どこかの企業に勤めようか」「もう辞めてしまおうか」と思いました。
その度に思うのはあなたのことで、
「全部辞めて、スウェーデンのあなたのもとに飛んでいこう」と・・・・。
でも、それが自分にとっての逃げ場になっていることに気付きました。
「ダメだったらスウェーデンに・・・」
それがダメな理由だ、と気付きました。

私から離婚を切り出したのはそんな理由です。

もう逃げるところが無くなったので、気分一新とことん仕事に打ち込めます。

この間、ネットで見つけた記事にこんなのがありました。
オーストラリアの看取りの看護師さんが聞いた、死を間近に控えた人々が口にした後悔の中で多かったもの
1. 「自分自身に忠実に生きれば良かった」
2. 「あんなに一生懸命働かなくても良かった」


私はあなたが羨ましくてしょうがありません。
あなたは好きなことを見つけ、最初から好きな事をやっているでしょう?
自分のやりたいことをして、それで生活が出来る。
これって理想で、これが人の本来のあり方で、でもなかなか出来ない。
でも、あなたはそれで生きているのよ。

それができる人は幸せです。
でも、あなたは出来ている。

あなたは私のあこがれです。

仕事が順調になって、
忙しくてしょうがなくなったら、
むりやり休暇を取って、
スウェーデンに行きます。
それまでそちらで頑張って下さい。

あなたにプロポーズされた11年前のように、
「自分が輝いている」
と思えるようになったら、
逢いに行きます。

泣き虫、弱虫女より


※この手紙はフィクションです。
※人物は実在しません。
※モデルもいません。
「ナースが聞いた「死ぬ前に語られる後悔」トップ5」
http://youpouch.com/2012/02/06/53534/

2012年1月25日水曜日

オーロラに夢を懸けたカメラマン 〜極北のダメ男のメール~

[ 送信 ]ボタンを押す前にもう一度全文を読み返してみました。
メールとはなんと便利なのでしょうか。電話は架け辛い、手紙を書くのは重すぎる、そんなときでもメールだとなんの負担も無く書けるような気がします。
そんなわけで、とりとめのない長い文章になってしまいました。
1人の女性をも幸せに出来なかったダメ男が書いた愚痴っぽい文章なので、以下の本文は読まなくてもいいです。
書類は明日送ります。

10年間ありがとう。
さようなら。

本文:
思えばこの極北の地に移り住んでからもう3年になります。
オーロラの撮影は順調です。この時期は空気が澄んでいるのでかなりいい感じで撮影が出来ています。
君に2年前に送ってもらった「ニコンD3」のおかげで快適に撮影が出来ます。それまではD200を使っていたので高感度撮影時のノイズが気になっていました。D3はISO 800でも一切ノイズが出ずISO 6400まで感度を上げることが出来るので助かっています。そう言えば今度「ニコンD4」が発売になるようなので16メガピクセル、ISO 204800でぜひオーロラを撮影してみたいな。
動画機能もかなり期待できそうです。
1〜2年後には何とか買いたいな。
今思えば2年前に「ニコンD3」購入資金を捻出するために「Aiニッコール16ミリF2.8s」を手放してしまったことを後悔しています。君にはわからないと思いますが、180°の画角で天空を写すことが出来る魚眼レンズです。マニュアルフォーカスレンズなので、いずれはオートフォーカスの魚眼レンズを買おうと思いつつ、いまだに買えません。
昔、若くて、貧しい夫婦がクリスマスプレゼントに、夫は妻の美しい長い髪を留める髪留めを、妻は夫のお気に入りの懐中時計の鎖を買って帰ったところ、妻は髪を切って売って鎖を買い、夫は時計を売って髪留めを買った。お互いにもらった物を使う場所を失っていた。
そんな話を思い出してしまいました。

つまらないことを書いてすみません。
オーロラの写真は売れています。インターネットのストックフォトサイト3ヶ所に登録していて、オーロラ以外の写真も含めて合計で約5000枚の写真を販売しています。こんな地球の果ての町にいても、世界に向けて写真を販売できるなんて、僕がカメラマンになった15年前から考えると夢のようです。
登録しているストックフォトサイトは世界をネットしているので日本でも僕の写真が買えます。今のところコンスタントに毎月15万円ほどの売り上げがあるので、1人で生活する分には何とかなっています。
オーロラにはまったのは君と2人でスウェーデンを旅した時でしたね。君の友人であるリチャードとヘレナを訪ねてストックホルムに行き、冗談半分に「オーロラの写真が撮りたい」と僕が言ったのがきっかけでした。9月のスウェーデンでオーロラが見えるわけがないと思ったのに、リチャードが「そんなことはない。北極圏に行けばこの時期でもオーロラが見える」と言い張り、詳しく調べてくれたのがきっかけでした。
パリに行く日程を変更し、リチャードが調べたキルナに3日間滞在し、ラッキーにも撮影に成功したとき僕は有頂天になりました。まだフィルムで撮影していたので、東京に戻ってラボから現像が上がってくるまで心配でしょうがなかったことを思い出します。さらにその写真がストックフォトで売れて、新宿西口のビルボードに12メートルの大きさで掲示されたとき「これは僕のライフワークだ!」と思ってしまったのです。
しばらく経ってからこの思いが僕の中でどんどん大きくなり、君に打ち明けたとき「寒いからいやだ!」と一蹴されたときは力が抜けてしまいました。
それはそうですよね、君が経営しているコンサルティング会社も順調に業績を伸ばしているのに「僕の夢に付き合って北極圏に移り住んでくれ」と言っても、付き合ってもらえないことはわかっていました。ただ僕は英語が出来ないので、英語が堪能な君が一緒に来てくれれば、撮影も生活も順調にいけると思ったのです。
今ではもうだいぶ慣れて、かたことの英語と地元の言葉で何とかやっています。
そう言えばリチャードが、日本人のオーロラ観測ツアーのガイドの仕事を探してきてくれて、1ヶ月に2回くらいガイドの仕事もしています。

わかっていても、さすがに離婚届の用紙を受け取ったときにはショックでした。
3日間ほど放り投げて見ないようにしていましたが、ちょっと日本がなつかしくなって、YouTubeで日本の音楽を探していて、うっかり「さだまさし」の「風に立つライオン」を押してしまいました。この曲は日本人の青年医師がアフリカで医療活動に従事しているとき、日本に残した恋人から結婚したとの手紙をもらい、その返事の手紙が曲になっています。実話にもとづいていると知り、聴きながら涙があふれました。3回聞きましたが、3回とも泣きました。その青年医師と自分を重ね合わせたわけではありません。かたや医者で志高く、多くの人に望まれて仕事をしているのに、僕は誰に望まれたわけでもないのに、勝手に1人で好きな事をしているだけで、志などないですから。
何で泣けるのか考えてみましたが、ただただ情けない自分に泣けたんだと思います。
でもこの曲を聴いて吹っ切れました。
離婚届は明日発送します。

これで僕には、東京に帰る場所が無くなってしまいました。
あ、僕の荷物は札幌の母のところに送っておいて下さい。
お手数かけます。
母にはこの件を連絡しておきます。
リチャードとヘレナには僕から話しておきます。こちらでは籍を入れない夫婦がほとんどですからあまり気にしないと思います。

あと2年くらいこの地で自分の夢を追いかけてみようと思います。
 僕は「風に向かって立つライオン」ほど志も、使命も、格好良さもありません。
 では、何故写真を撮っているのかを考えてみました。
僕らは子供を持ちませんでした。
後世に継ぐ物は何もありません。
せめて、自分が撮った写真を残したい。
自分の納得出来る物を、後の世に残したい。
それがこの時代に、1人の人間が、男が、生きていた証となるような・・・
そんな写真が撮りたい・・・

極北のダメ男より


「風に立つライオン」さだまさし
↑ ここを押すと曲が聴けます。
※この手紙はフィクションです。
※人物は実在しません。
※モデルもいません。

2012年1月7日土曜日

ライカレンズを全部買う その3 [50ミリがいっぱい]

「ライカレンズって良いの?」ライカに全然興味のない方からこんな質問を受けることがある。
単純に画質に限って言えば「現代の日本製レンズの方が良い」と言えるだろう。
また金額のことを考えてもとてもおすすめできる物ではない。
ちなみにライカレンズ 「ズミルックスM 50ミリF1.4」の新品価格 400,000円ほど。
「Aiニッコール50ミリF1.4s」の新品価格 40,000円ほど。
10倍の価格差があって、写りが特別に良いのでなければ、なぜライカレンズを買うのか?
ブランド?
歴史?
理由、というより言い訳をいろいろと考えてみたが、上手く説明が出来ない。

僕が持っているライカレンズは全部中古レンズだ。古い物では70年、比較的新しい物でも20年前の中古で、しかも外観の程度の悪い物を狙って格安で購入した物だ。
もともと高価なライカレンズでも「暗い」「ぼろい」「古い」のいずれか、または全部を我慢すればかなりを安く買う事が出来る。
僕はこの3つを我慢して次々とライカレンズを買った。

デュアルレンジの2重カム
今回は50ミリの話。
「ライカレンズを全部買う その1」にも書いたが、最初に購入した50ミリは「デュアルレンジ ズミクロン50ミリF2」。
このレンズの高画質と、遠距離と近接撮影を可能にしたデュアルレンジの仕組みにはライカレンズにのめり込む魔力があった。

沈胴した状態の裏側
ライカのレンズは単にピントリングと絞りリングがあるだけではない「仕掛け」のあるレンズがある。デュアルレンジの次の購入した50ミリは「沈胴」式の「エルマー50ミリF2.8」だった。沈胴式とは、収納時にはレンズがボディ内に収まり、使用時には引き出す方式の物で、ライカの得意な方式のレンズだ。このレンズもLマウントに始まり、Mマウントfeet表示、Mマウント[m・feet]併記の3本を購入した。暗いレンズに属する3群4枚構成のシンプルレンズで画質はズミクロンほどではない。暗いレンズだけに開放から申し分のない画質だが、絞っても画質が向上することもない、可もなく不可もない、コンパクトな「標準」的レンズだ。さらに沈胴にはまってLマウントの「エルマー50ミリF3.5」を5〜6本買った。このレンズも歴史が長く1924年から1959年まで36万本ほど製造されたようだ。戦前、戦後、ニッケル、クローム、メートル、フィート、絞り表示の違い、さらに深度表示が赤い「赤エルマー」など様々あるが、古い物なので経年変化による個体差が激しく「あたり」のレンズが来るまで次々と買ってしまった結果だ。外観はMマウントの物よりさらに小さく、写りに関しては「こんな古いレンズでもこれだけ写るんだ!」と感激した。

エルマー2.8[m・feet]併記
次に買ったのが「ズマリット50ミリF1.5」このレンズもかなりの癖玉。このレンズの発売当時はまだF1.4まで明るくできず今どきはありえないF1.5という半端な明るさ。エルマーのF3.5に比べると2絞り以上明るいハイスピードレンズで贅沢品だったはずだ。癖玉と言われるわけは開放にある。無理して明るくしているため開放絞りではにじみが多い。さらにこの時代のコーティングが弱いのか、レンズ自体が柔らかいのか前玉に拭きキズが出やすい。ハズレのレンズを買うと傷だらけの物があり、さらに激しくにじんでしまう。僕のレンズも薄い拭きキズはあったが比較的良好で、開放で幻想的なにじみを楽しみ、F2.8まで絞るとエルマー2.8レベルに画質が向上し、さらに絞るとさらに画質が良くなる。絞りによって明るさを加減するだけではなく、画質をコントロールできるレンズで、この「癖」を上手くコントロールすれば1本で3度美味しいレンズになる。

ライカの50ミリは種類が豊富で、「ズミルックス50ミリF1.4」「ノクチルックス50ミリF1.2」「ノクチルックス50ミリF1」さらに現行品で「ノクチルックス50ミリF0.95」という超高速レンズもある。
ちなみにこのレンズのお値段118万円
もちろんこんな高いレンズは持っていない!

恐ろしやライカレンズ!

さらにつづく

2012年1月3日火曜日

ライカレンズを全部買う その2 [エルマー3.5cm]

僕は明るい大口径レンズより、開放が暗めのレンズの方が好きだ。理由は色々あるが、
1)口径が小さいので、全体にコンパクト
2)無理に明るくしていないので、性能も良い(収差が少ない)
3)明るいレンズより値段が安い
3番目の「値段が安い」が、最も暗めのレンズを好む理由である。
一眼レフの場合、暗いレンズはファインダーが暗くなってしまい長く使っていると目が疲れてしまう。しかし、レンジファインダーカメラは暗いレンズを付けてもファインダーの明るさが変わるわけではないので、暗くても軽くて、しかも安いレンズが好みなのだ。

35ミリレンズは「ズマロン35ミリF2.8」に始まり「ズマロン35ミリF3.5」「ズマロン35ミリF3.5 Lマウント」「ズマロン35ミリF2.8 めがね付き」そして、「ズミクロン35ミリF2」までを買ってしまったことは[その1]で書いた。
ライカレンズの35ミリにはさらに明るい「ズミルックス35ミリF1.4」がある。噂ではライカレンズの中でもいわくつきの癖玉で、こいつをねじ伏せて使いこなすことが出来れば、ライカ使いとしても上級レベルのようである。派手なフレアー、周辺のボケ、コマ収差など、絞りを明けると欠点が目立ってくるようだが、愛好者にはあばたもえくぼで『味』として受け入れられているようである。
そして、中古でもとても値段が高い。一点豪華主義の愛好家には良いと思うが、僕はいまだにズミルックスには手を出していない。
そして、そして、次に手を出したのが「エルマー3.5cmF3.5 Lマウント」だった。
このレンズはライカが初めてだした広角レンズで、Lマウント(バルナックタイプのライカカメラ用)の物しかない。
ライカの良いところはマウントをLマウントから、現行Mマウントに切り替えたとき、L→Mマウントアダプターを供給していて戦前の古ーいレンズまでが現行ボディに付けられるところだ。
エルマー3.5cmF3.5は1932〜1950年に発売されていた物で3群4枚のいわゆるエルマータイプの広角レンズで、間に第二次世界大戦があったため『戦前』モデルと『戦後』モデルに分かれる。
大きな違いはノン・コーティングとコーティングの違いだが、他にも絞り表示が『大陸絞り』『国際絞り』、外装が『ニッケル』『クローム』、距離表示が『メートル』『フィート』など、様々なモデルが混在している。何れにしても製造から70年前後の時を経ており、個体差が非常に大きい。
僕がこのレンズを探していたときも中古店の店主に「あれはボケ玉で使えないよ」という意見も聞いた。
結局中古店で1本、ネットで2本の計3本のレンズを購入し、撮り比べて一番気に入ったレンズを1本残して2本のレンズはすぐに売ってしまった。
気に入ったレンズは1941年製戦前型、大陸絞り、メートル表示の物で、[ Heer ](陸軍)と書かれた軍用の物だった。70年前の物とは思えないすばらしい写りで、少し線の太い描写が古さを感じさせるものの、すでにこの時代にレンズ設計は完成していたと思わせるものだ。
ついでに、このレンズに似合うであろうバルナックタイプのライカカメラ [ lllf ]とファインダーもセットし、クラシックスタイルでの撮影を楽しんだ。
実際はものすごく不便。
フィルム装填はほとんど一回では上手く出来ない。ゴッセン露出計で露出を測るのだが、絞りは6.3とか9とか変な数字だし(普通は5.6、8、11と表示される)、シャッターも50、75、100(普通は30、60,125)だし、ピントを合わせるファインダーとフレーミングするファインダーが分かれているし・・・逆に、今のカメラがいかに便利かを確認できる不便カメラだが、儀式のようなその不便な操作をも楽しむ・・・完全に病気だ。

さてその後もさらにエスカレートし、50ミリ、90ミリと次々レンズを買っていく、果てしなく続くライカレンズの世界は

つづく

2011年12月27日火曜日

バラードをリピート

ニコンD3






12月の午前4時。まだ外は暗い。
遥香は後部座席で軽い寝息を立てて眠っている。心なしか寝顔が微笑んでいるように見える。
僕は起こすのがかわいそうなので、そのままそっとしておくことにした。

「遥香!よかったヨ最高!先生も感心してたよ『なかなかやるな』って。クラスのみんな大盛り上がり!!
やったじゃん!」
遥香は興奮状態で友達の絶賛に対して一言も答えられず、控え室になっている体育倉庫前の地べたにへたり込んでいた。
あふれ出る汗をぬぐうのがもったいない。今の興奮にひたっていたかった。
手応えは十分あった。
いける!
そう思えた。
完全に吹っ切れた。

「進路はどうするんだ?」
「歌手になります。!」
「『音大へ進学』か」
「先生違います。音大へは行きません。東京に行って歌手になります。」

遥香は香川県の県立高校を卒業すると、「歌手」になるため東京に出てきた。
何かのオーディションに合格したわけではない。
ほとんど「あてもなく」上京した。
不安もあったが、それにまさる自信があった。
高校3年の文化祭のライブは大成功だった。
それまでも地元の繁華街での路上ライブでは手応えを感じていた。
それが体育館を満員にした文化祭ライブが決定的な自信につながった。

父は最初は反対していたが「大学に行ったつもりで4年間がんばってみろ。だめだったらとっととこっちへ帰ってこい!」と、なかば諦め状態で送り出してくれた。
卒業してすぐ母と二人で上京した。上京したといっても最初にアパートを探したのは登戸だった。あと1駅、多摩川を渡ると東京だ。
遥香にはこだわりがあった。まだ東京に住んではいけない。一歩手前の川崎市に住んで、歌手で成功したら都内に住む。そう決めていたのだ。登戸の駅周辺で不動産屋を探し、飛び込みでアパートを探した。3件目の物件が気に入ってその日の内に契約をした。駅からは15分ほどで少し遠い。しかし、道を隔てた反対側に多摩川の堤防があってそこまで行くと対岸に東京が見える。堤防も広々としていて歌の練習で大声を出せそうだ。
遥香の”東京”生活の始まりだった。

僕が初めて遥香を見かけたのは9月の終わり頃、夏の終わりを感じる季節だったと思う。
その日、僕は九十九里浜にあるプール付リゾートスタジオで、グラビア撮影を終えての帰りだった。
新宿で首都高速をおり、スタッフを駅に落とすため新宿駅南口に向かった。九十九里から高速で2時間半ほどかかり、新宿駅南口に着いたとき辺りは少し暗くなりかけていた。
南口の横断歩道を過ぎたところで車を止め、アシスタントとヘアーメイクをおろした。車のトランクを開けヘアーメイクの大荷物を降ろし、駅方向に見送った後、雑踏の南口広場でギターを弾きながら跳ねている女の子を見かけた。
斜め後ろから見かけただけで顔はよく見えなかった。
どんな歌を歌っていたかも覚えてはいない。
でもきっとその子が遥香だったと僕は思う。

登戸で、駅から歩いて15分くらいで、アパートの窓から多摩川の堤防が見え、堤防から反対岸に東京が見える。
それしか聞いていなかったので遥香のアパートが何処にあるのかわからない。とりあえずカーナビをたよりに「登戸駅」まで行き、駅から地図を頼りに川沿いの道を走り、止められそうな土手の斜面を少し下り、車を止めた。後部座席に子猫のようにうずくまっている遥香をそのままにして、暖房で暖まっている車内の空気を入れ換えようと少し窓を開けた。
車についている車外の温度計は2°を示している。3センチメートルほど窓を開けると、乾いた冷たい12月の空気が車内に流れ込んできた。
暖房で紅潮気味のほほに心地よく感じた。

10月の終わり頃、インディーズレーベルNAOレコードの社長から電話があった。
内容は、インディーズデビューする19歳の女の子のCDジャケットの撮影依頼だった。
日程を調整し、具体的な内容になったところで、
「今その子ここにいるんだけど、今日時間ある?」
「あ、いいですよ。ヴィジュアルのうち合わせしましょうか?こちらから行きましょうか?」
「いや、当日僕立ち会えないからマネージャーと本人連れて今から行きますよ。」
1時間ほどして、
エレベータホールの方が妙に騒がしくなった。
「おっはよ〜ございま〜すっ」
社長とマネージャに連れられたその子はだぶだぶのトレーナーを着て背中にギターを背負ったまま90°お辞儀をして挨拶をした。
あやうくギターのネックで頭を殴られるところだった。
「とりあえずこんな感じなんですけど・・・」と社長に紹介された。
4人でしゃべっているうちに僕は何となく思い出した。
「新宿駅南口でストリートライブやってない?」
「やってます〜。えっ?しってます〜?」
「ひと月くらい前に偶然見かけたけど、きっとそうだと思う。」
「ん〜そ〜ですか?それはラッキィ」

社長のイメージとしては、
真っ白いところからスタートさせたい。明るくポップに仕上げたい。
と言うコンセプトで僕がアートディレクションを引き受けた。
RAW + jpeg
一週間後、
僕のスタジオでフォトセッションが始まった。
サベージのスーパーホワイト ワイドをホリゾントにし、遥香が絵を描いていく。
僕はそれを寄ったり引いたり、音楽をガンガンにかけながら撮影した。
カメラは「ニコンD3」レンズは「AF-S VR Zoom-Nikkor 24-120mm f/3.5-5.6G IF-ED」
設定はヴィヴィッド、RAW + jpeg
jpegでセレクトした後、使用カットのみをRAW現像し、TIFFでデザイナーに渡す。
ライティングは2400WSのコメットを6灯、スタジオの4メートルの高さの天井にバウンスした。
最初に3.6メートル幅のバックペーパーの端から端まで5色のペンキで遥香が虹を描く。さらにそこに太陽や川や家を描き加えてゆく。
その後、自分が着ている白いつなぎに自分で絵を描き、最後に自分の顔にペンキを塗っておしまい。
3時間のフォトセッションが終わった。

僕は窓を閉め、車内は暖まっているので車のエンジンを切った。
背もたれを少し倒し、音を少し絞って遥香のCDをかけた。
5曲のミニアルバムのラストの曲、小田急線を歌ったバラードをリピートにセットした。

遥香は毎日ブログを書いている。
多い日は1日に20〜30回書き込んでいる。
ストリートライブ情報やレコーディング、もちろん「ジャケ写」撮影の様子も逐一ブログに書き込んだ。
僕は撮影の日から毎日遥香のブログをチェックした。
12月24日クリスマスイブの日、遥香のファーストアルバムがインディーズで発売になった。
僕はその日、スタジオでティーンズファッション誌のファッション撮影をしていた。
モデルカットを終了し、物撮りがおよそ100カット。
撮影は深夜におよんだ。
撮影終了後、年内にデータを納めなくてはならないため、引き続きスタジオで写真セレクトを始めた。
12時を過ぎた頃、そうか?今日はクリスマスイブだ。
と思ったとき、遥香のアルバム発売を思い出した。
撮影終了後マネージャーから、「出来次第すぐに送ります。」という申し出を断っていたのでまだ最終的な仕上がりを確認していない。
「イブの夜、自分で買いに行くから。」と約束していたのを果たせそうもない。
そう思いながら、遥香のブログをチェックした。
「マネージャーと一緒にCDショップを営業でまわっています。」
「店頭でミニライブをやらせてもらいました。」
遥香の元気がおどっていた。
しばらく写真セレクトをし、今日はもう終わりにして後は明日にしようと思い、「ViewNX」を閉じ、
もう一度遥香のブログをチェックすると、
「ショップ営業が終わったので、南口でストリートライブをやります。」
「多くの皆さんが、クリスマスイブにもかかわらず、足を止めて聞いて下さいました。ありがとうございました。」
「大変です。うっかりして終電が終わっちゃいました。」00:40
と、書き込まれていた。
僕は遥香の携帯番号を知らない。
遥香がタクシーで帰るところを想像できなかったので、僕はスタジオの戸締まりをして新宿駅に向かった。

クリスマスイブの新宿西口地下ロータリーは午前1時を過ぎても人がごったがえしていた。
タクシーの列をパスして、ロータリーを廻りきった辺りに車を止めた。
「友達の家にでも転がり込んだかもしれない、一回りしていなかったら帰ろう。」と思い
西口の小田急線改札に向かった。
ギターを持っているから目立つはずだ。
改札まで走って行き、辺りを見回すと遥香がいた。
券売機の隅の方で、キャリーカートにアンプとCDを積み、背中にギターケースを背負ったままうずくまっていた。
ゆっくりと近づき、しゃがみ込んで声をかけた。
「遥香、ブログ見たよ。頑張ったみたいだね?」
遥香はゆっくりと顔を上げた。
「わかるかな?ジャケ写撮ったカメラマンだけど?」
「わかります〜。わかりますよ!どうしたんですか?何でここが?」
「だから、ブログ見たよ!『終電乗り遅れました!』って書いてあったから、迎えに着たよ。家まで送ってあげるから・・」
「サンタだ〜!!!サンタが着た〜!!」
「声が・・大きいよ!人がいっぱいいるから、し〜っ!」
「だって〜どうしようかと思っていたんだもん。このままクリスマスイブの夜、『私は路上で死ぬんだ』って思っていたんだもん。」
「そこに車止めてあるから、寒いから、そこまで行こう。」
僕は遥香のキャリーバッグを引いて、涙ぐんでいる遥香を車に乗せた。

約束より少し遅れたけど、僕は発売の日に遥香のファーストアルバムを本人から買った。

午前6時を過ぎると、辺りが少し明るくなってきた。
東の空が、紺色から青色に変わってゆく。
僕は車から出て堤防から多摩川越しに東京を見た。
相変わらず空気は冷たいが、まもなく日が昇る。

朝の気配を感じる澄んだ空気が心地よかった。




この話はフィクションです。
登場人物は実在しません。
写真はイメージです。

2011年12月26日月曜日

ライカレンズを全部買う その1

ズマロン35ミリF2.8
ライカにはまってしまった僕は、M3からM6までほぼフルラインナップでライカレンジファインダーカメラを買ってしまった件は、
「ライカその3」に書いた通りだが、もちろんカメラボディだけを買っていたわけではない。

ミノルタCLEでレンジファインダーカメラの魅力を知った僕はその後、コンタックスG1でレンジファインダーカメラ熱が再発、その際G1がカバーしていない135ミリレンズを使おうとしてライカにのめり込んでしまった。
そんなわけで、最初に買ったライカレンズは「エルマリート135ミリF2.8」だった。このときは小さなボディに大きなレンズであまりライカレンズの魅力を感じることはなかった。しかも広角系のM6ボディに望遠135ミリを使うのに不便を感じた位で、まだレンズにははまっていなかった。しかし望遠系ボディを求めてM3を買ってしまい、このM3に使おうとライカの標準レンズ50ミリを探し始めたあたりからライカレンズ熱におかされてしまったようだ。

元々はカメラコレクターではなかった。仕事で必要なカメラ、レンズにしかそれほどの興味はなかった。次々と仕事で使えないようなクラシックカメラを買い始めたのはこの時期、写真撮影と平行してもう一つカメラにかかわる仕事を始めていたからだった。
某出版社から出ていた「中古カメラGET !」という雑誌に古いカメラ、レンズの試用レポートを書き始めたのだ。企画は全て持ち込み企画で「二眼レフカメラ ローライフレックス」だったり、「レア物ニッコールレンズ」だったりと自分の持っているカメラの中から、その使い勝手や良いところ、悪いところ、使用上の注意点などを毎号連載で書かせてもらっていた。中でもニコンとライカに関する記事が読者に好評だそうだ。そこで読者の疑問に載っかって僕自身も興味があるカメラ、レンズを自分で購入し、その使い勝手をレポートして記事にしていた。つまり、この記事の原稿料は全て機材購入にあてていたのだ。

デュアルレンジズミクロン50/2
M3には50ミリを付けてみないと本当の良さがわからないだろう、と様々な情報を集めているうちに興味がわいたのが「デュアルレンジ ズミクロン50ミリF2」だった。
レンジファインダーカメラは一眼レフカメラに比べて近接撮影に弱い。普通の50ミリ ズミクロンでは1メートルまでしか近距離撮影が出来ないがデュアルレンジは約45センチメートルまでの近接撮影が可能である。このため「メガネ」と呼ばれるファインダーアタッチメントが付き、2重の距離計カム構造になっていたりとメカ好きにはたまらない複雑な仕掛けで出来ており、かつ、このレンズの写りがすばらしい。一説によるとレンズを組み立てた後、性能検査をし、結果の良かったレンズをデュアルレンジに組み込んだという説もある。一般の方にとっては『良いレンズ』の定義が難しいと思うので、僕の思う良いレンズとは『欠点がないレンズ』と定義しよう。レンズの良くない部分は周辺部に出る。周辺の像が流れたり、ボケたりするのは×。またレンズ開放時に欠点が出やすい。像がにじんだり、輪郭に色がついたり。そんな欠点がなければよいレンズ。デュアルレンジズミクロンは欠点のない、しかも正確な近接(クローズアップ)が出来る理想のレンズだった。

ここでうんちく。『理想レンズ』とは、
点対点対応、
線対線対応、
面対面対応が出来ているレンズのこと。
つまり点が点に写る。円になったり面にならないこと。
線が線に写る。曲がったり、太くなったりしない。
面が面に写る。曲面になったりしない。
これが理想レンズだが、実際はこれらを崩す収差が発生する。
その収差が少なく抑えられ、発色の偏り(色付き)が無く、使える大きさで、買える値段。
これが僕の思う理想レンズ。

この理想に限りなく近い「デュアルレンジズミクロン」と出会い、どんどんライカレンズに興味がわき、比較的古いレンズから買い始めた。
50ミリの次は35ミリだろうと、次に探したのが「ズマロン35ミリF2.8」
最初に購入したズマロンが正に当たりのレンズだった。開放ではやんわり滲み、絞るとシャープに描写するちょっと線の太い良い味のレンズだった。

このあたりのレンズは1960年頃発売された物で、製造からおよそ50年経過しているため1本1本の個体差で当たり外れが大きい。撮影してみないとわかりにくいため一概に「評判」があてになるとは限らない。

ズマロン35ミリF2.8
ズマロン35ミリF2.8が大いに気に入ってしまった僕は次に「ズマロン35ミリF3.5」「ズマロン35ミリF3.5 Lマウント」「ズマロン35ミリF2.8 めがね付き」
そして、「ズミクロン35ミリF2」へとライカレンズの泥沼へずぶずぶとはまっていってしまった。




つづく