2011年10月23日日曜日

ニッコール85ミリと180ミリの 曖昧な記憶


ケイ?
けい子?
記憶がはっきりしない。
僕はケイちゃんと彼女のことを呼んでいた。
僕はリクと呼ばれていた。

ケイちゃんと知り合ったのは僕が25歳の時だ。
僕はこの頃はカメラマンのアシスタントをしていて、フリーランスのカメラマンなるため、時間があれば作品を撮影していた。
ファッションカメラマンのアシスタントをしていた僕の作品の被写体は女の子で、師匠の真似をしてファッション写真風の作品を撮っていた。


モデル代が払えないから頼むのは素人の女の子ばかり。撮影するとモデル代の代わりに写真を大きくプリントしてあげて、その時、次にモデルになってくれる人を紹介してもらっていた。
今から思えば、プロのモデルじゃない素人を大勢撮影したことは後にカメラマンになってから大いに役に立ったと思う。
そして誰かに紹介してもらったのがケイちゃんだった。

ケイちゃんは六本木にある劇団の研究生だった。
小柄で丸顔のケイちゃんはちょっと美人で、キュートで、元気で魅力的な女の子だった。
初めて撮影したのは僕が働いていたカメラマンのスタジオで、夜2時間、作品撮りのために借りて撮影した。
写真撮影には2種類あって、英語で言うと 「Photo shooting」 と 「Photo session」 だ。
人物撮影の場合、フォトシューティングはモデルを自由に動かしておき、カメラマンは良い瞬間を狙い撃ちする。フォトセッションはモデルとカメラマンのコラボレーション撮影になる。モデルと初対面だとお互いにどんな人で、何ができるのか、どうしたいのか解らないから探り合いながら、様子を見ながら撮影する。初めての撮影でも意気投合すれば相乗効果ですばらしい結果が生まれるが、うまくタイミングが合わないこともある。
その日の撮影は、時にクールに、時にキュートに、変幻自在のケイちゃんは被写体としては満点だった。
原宿駅前のビルの4階にあるスタジオで夜9時に撮影が終わり、2階にあるレストランで僕らは食事をした。
撮影終わりのケイちゃんは饒舌で、自分の夢をめいっぱい語ってくれた。
当時は無口だった僕は、オムライスを食べながらケイちゃんの話を一生懸命聞いていた。
「リクさん。」
「ん~。」オムライスを食べている僕は鼻で返事をした。
「今日すごく楽しかった。演技の勉強をしているじゃない? でも、なかなか主役になることは出来ないのよ。わかる? 聞いてる? 」
「聞いてるよ。」
「でも、今日、私、主役だった。すごく嬉しかった。『私女優よ。私を見て。私を撮って。』 って、そんな感じ?  ね~ わかる? 」
「んー わかるよ。でもまだ結果を見てないだろ? できあがりの写真。」
「ううん、絶対いい。見なくてもわかる。」
「1週間くらいでベタ取るから、それ見て写真選んで。気に入った写真プリントしてあげるから。 」
ケイちゃんは聞いていない。
「また撮って。次はロケ。 そうだ。 毎月1回撮影しよう。 絶対いい。 ね? 」
半ば押し切られたようだが、実は僕もケイちゃんをモデルとして、いや女優として評価していた。
素人のかわいい子とはちょっと違う、演じることが出来る秘めたる資質を感じていた。

そんな始まりから僕はケイちゃんをモデルに毎月写真を撮った。
2回目の撮影は代々木公園でロケをした。
3回目は新宿御苑で・・・

そんな感じでほぼ月1でフォトセッションをしながら僕らはカメラマンとして、女優として少しずつ成長していったような気がする。
恋愛感情はまったくなかった・・・

実は、2回目の撮影を代々木公園でした後、原宿駅前でご飯を食べながらケイちゃんが言った、
「私彼氏がいるの。」
僕はなんにも聞いていない。
「サラリーマンの彼氏で10歳年上なの。」
「あ、そ~。」 って感じだ。
3歳年下のケイちゃんは、確かにかわいいが、おテンバな妹みたいな感じで、恋愛対象とは考えていない。
聞いてもいないのに、なんでそんなこと言うかな~と思った。

そんなケイちゃんとの出会いからおよそ1年後、僕は26歳でアシスタントをやめ、フリーランスのカメラマンになった。
ケイちゃんは研究生を終了し、10人に1人しか残れない団員に選ばれ、正式に劇団員になっていた。
月1ではないが、時々下北沢であってご飯を食べながら愚痴を聞いてあげた。
劇団員になっても給料は出ない、劇団公演は年に数回しかない。普段はアルバイトをしながら、テレビや映画、舞台のオーディションを受けて、合格するとバイトを休んで女優をする。
僕はカメラマンになって、実家を離れ下北沢のアパートで一人暮らしをしていた。
雑誌の撮影を一回すると5~6万円にはなり、ひと月に5~6回は撮影があったが、不安定で、1週間なんの仕事もないと、このまま忘れられてしまうんじゃないかと、不安な日々を送っていた。

夜11時くらいに電話が鳴った。
ケイちゃんだった。
「悔しい! オーディションおっこった。」
「仕方ないよ。ケイちゃんが悪い訳じゃないだろ、きっと役に合わなかっただけじゃないか? 」
そんなことを言いつつも、ケイちゃんの気持ちはすごくよくわかる。
僕だって、作品を持って売り込みにいっても必ずしも使ってもらえるとは限らない。
「僕の方がいい写真が撮れるのに、何故『今いるカメラマンで十分』なんて、お座なりな考え方をするんだ」と悔しい思いをしょっちゅうしている。
「電話じゃ気持ちが通じないから、今から行ってもいい?」
「いいけど、帰りの電車なくなっちゃうだろ?」
「いい! 朝までとことん喋る。 タクシーで行く! 下北のどこに行ったらいい? 」
「じゃあ、本多劇場の側の駅前に11時半に待ってるよ。」

駅前のマックはもう閉店していた。
半を少し過ぎた頃、タクシーが止まりケイちゃんが降りてきた。
「どうする? どっか入る? 」
「リクの家は? 」
「家? すぐそこのアパートだけど、『Jazzまさこ』の先・・・ え? 家くる? 」
「いい? だって話したいこといっぱいあるんだもん。」
「わかった。じゃあいいよ。」
「ごめんね、こんな遅くに。」
「いや、別にいいよ。明日撮影ないし。」
「だって、こんな時間に電話できて、私の気持ちわかってもらえるのリクしかいないんだもん。」
「彼氏は? 」
「だめ、サラリーマンだもん、全然わかってもらえない、とっくに寝てるし。」

自動販売機で缶コーヒーをふたつ買って、僕の部屋に向かった。
ケイちゃんは週に2回劇団に行って稽古をしたり、事務処理の手伝いをしながら、様々なオーディション情報でオーディションを受けている。今回も最終面接までいって、落ちてしまったそうだ。
「私何やっているんだろ?
毎日生活のために居酒屋でバイトして、オーディション受けてもみんな落っこちて、
これじゃただの居酒屋の店員じゃん? 」
慰めの言葉もなかった。聞いてあげることで少しでも楽になるならと、なるべく反論せずに相づちを打ちながら聞いてあげた。
「また写真撮って!
じゃないと私、女優終わっちゃう!」

午前2時くらいまで話を聞いて、ケイちゃんはそのまま僕のアパートに泊まった。
「リク、変な事しないでね? 私、彼氏いるから。それよか、リクとはわかり合える親友でいたいの。変な関係になりたくないのよ。」
「わかってるよ。なんにもしないよ。」

ケイちゃんは僕のベッドで、僕は床で寝た。

翌朝は変な感じだった。
男女だけど恋愛関係でもない、
朝は喋ることもなく、2人とも言葉少なく、
駅前のマックで朝食を食べた。

その週の、ケイちゃんがバイトが休みの日に僕らは軽井沢に撮影に行った。
撮影場所はアシスタント時代にロケで行ったことがある雲場池を選んだ。
僕は買ったばかりの「ニコンF3」に、これもほとんど初めて使う「AiニッコールED180ミリF2.8s」を使った。
ファッションの撮影で、うしろをボカして使うには最適のレンズだ。思うようなファッション撮影の依頼がなく初めて本格的に使った。
ケイちゃんはこの日のために白いドレスを買って持ってきていた。車の中で着替え、ケイちゃんは雲場池にドレスの裾を持って足を浸けた。秋とはいえ水はかなり冷たかったはずだ。
僕はニコンF3を三脚に据え、アングルを探した。
今回はフォトセッションではなくフォトシューティングで撮る。
ケイちゃんにはロングで周りの木や緑や池を生かした撮り方をするので、自分で演じて自分で動くように指示した。
足を水に浸けたり、踊るように廻ったり、にらむような表情を見せたり、一人芝居を演じていた。
180ミリを開放で使い、彼女だけにピントを合わせ、辺りをボカして撮影した。
次に、浅間山の麓の鬼押しハイウェイに移動して、長いショールを風になびかせるようにして180ミリで撮影した。

それからしばらくして、
ケイちゃんはオーディションに受かり初め、テレビに台詞付のチョイ役で出演したり、舞台に上がったりと、女優の活動を始めた。
僕も徐々に念願のファッション撮影の依頼が来るようになっていった。

知り合って3年目になった頃、また夜遅くにケイちゃんから電話があった。
タクシーで僕のアパートに来ると、映画出演が決まったことや、来年ロングランの舞台が決まりそうな話を楽しそうに話して、僕の部屋に泊まった。
僕らは床に布団を敷き、電気を消し、隣同士で喋りながら眠りについた。
「いつの日か、僕がカメラマンで、女優のケイちゃんを雑誌の仕事で撮影できたらいいね・・・」
そんな話を目をつぶったまま話していると、

「リク、私のヌード撮って。」
「やだよ!」
「なに! 即答? 」
「だってやだよ! ケイちゃんのヌードなんか・・ やだよ!」
「だめ! 撮らなきゃ! リクには私を撮る責任があるの!」

なんだかよくわからない理屈だが、押し切られて撮影する・・させられる羽目になった。
「スタジオで、うしろから強い光に照らされて裸の私が立っているの・・・」
そんな撮影プランを聞かされながら僕は眠りに落ちていった。

半分眠った状態で意識が遠のいてゆく中、ケイの左手が僕の布団の中にゆっくりと入ってきて僕の右手をつかんだ。
ケイは僕の右手を上からつかむと、そのまま自分の布団の中まで引っ張ってゆき、僕の手を自分の左胸の上においた。
僕はケイの胸のふくらみを感じながら眠りに落ちていった。
「ごめんね・・」
そんなケイの声が遠くで聞こえた。

僕は後輩に頼んで、以前働いていたスタジオを2時間貸してもらう手配をした。
ケイちゃんはダイエットをして撮影に臨んだようだ。
僕の撮影プランは、スタジオ撮影だがストロボを使わず、アベイラブルで撮影しようと考えた。
照明は500wのアイランプ1灯、壁にバウンス。
この日のために「Aiニッコール85ミリF1.4s」を購入した。
それまではニッコール85ミリF2を使っていたが、F1.4がちょうど発売されたので、この機会に購入した。
周りをバウンス用の白いパネルで囲んでニコンF3にトライX。
1/30でF1.4
現像はD76を希釈してフラットに仕上げた。

ケイちゃんに電話をした。
 「こないだの写真、ヌードの、出来たよ。10枚ほど8×10にプリントした。」
「いらない。」
「え! なんで。写真だよ。」
「いらない。
撮って欲しかっただけなの。
写真はいらない。
25歳の私を記録しておきたかったの。
 私はここにいますって・・・」
 「だったらいいけど・・・見る。」
「いい。持ってて、リクが持ってて。」

僕は女心がわかったような、わからないような・・・
とりあえず、印画紙の箱に収めて保管した。

それから何ヶ月か経って、
ケイちゃんから電話があった。
「今、稽古中なんだけど、来月からロングランの芝居が始まるの。東京で2週間、その後、名古屋、大阪、九州まで行って、その後北陸、東北、北海道まで6ヶ月間。」
電話の向こうでケイちゃんの嬉しそうな声が踊っていた。
「後、映画が公開になるから見て。シーンは短いけど健さんと競演なんで・・」

その電話がケイちゃんとしゃべった最後になった・・・・・・



里美から電話があった。

「知ってる?」

里美はケイちゃんと同期の劇団員だ。

「ケイちゃんが乗った劇団のバスが・・」

里美にもモデルを頼んだことがある。

「新潟の十日町で・・」

僕は里美からの電話を切った後、朝刊を改めて開いてみた。
「新潟県十日町市の県道で東京の劇団○○○のバスがガードレールを突き破って転落し・・・
乗っていた劇団員○○けい子さん(26)が全身を強く打って死亡・・・

それから何日か経った。
里美から電話があった。
ケイちゃんの両親が北海道から出てきていて、今、ケイちゃんのアパートの片付けをしている。
東京での話を聞きたいらしい、リクさん来てもらえないだろうか?
そんな内容だった。

僕は、ケイちゃんの写真、唯一手元にあるケイちゃんの写真を持ってVF400で下高井戸に向かった。
ケイちゃんのアパートには初めて行った。
里美とケイちゃんのご両親がいて、荷物を片付けていた。
僕はケイちゃんとの出会いやこれまでのつき合いを話し、8×10が入った箱を渡した。
「ケイちゃんの大切な写真が入っています。ケイちゃんは 『私は今ここにいます』 って言う写真が撮りたかったって言ってました。」
「今、けい子の日記がありましてね。読むと芝居の事の間に、リクさんの話がたくさん出てくるんですよ。それで里美さんにお願いして、連絡していただいたんです。」
「でも・・」
僕は里美の方を見ながら、
「ケイちゃん、彼氏いましたよね? 」
「さ〜そうですか?日記には出てきませんけど。」
「え? 里美ちゃんは聞いてるでしょ? 」
「私は知りません。」

あれからもう30年近く経った。
あの頃のネガを最近になって探してみたが、見あたらない。
ケイちゃんの顔もよく思い出せない。
今となってみると、
ケイちゃんに彼氏はいたんだろうか?
いや、それどころか、
ケイちゃんは本当にいたんだろうか?

僕にはよくわからない・・・
僕は本当に写真を撮ったのだろうか?


※この話はフィクションです。
登場人物は実在しません。

2011年10月14日金曜日

クールピクス 失踪事件 その2

※その1からお読み下さい。


2年程前のことだ。三波さんが東京に出てきて、例によって心霊写真を見せられたとき、
「何処で撮ったんですか?この写真?」との問に、「いや〜いろんな所で撮っているんでどこだかよく覚えていないんです。写真に自動的に撮った場所が記録されるといいんですけどね〜」
「何言ってるんですかありますよ。今どきはカメラにGPSが内蔵されていて自動的に『ジオタグ』って言う位置情報が記録されるんですよ」

その時勧めたのがニコン クールピクス P6000 だった。
P6000はカメラ内部にGPS機能を内蔵していてメタデータに緯度、経度などの位置情報が記録される。
ニコンのブラウザーソフト ViewNX を使うと写真からの情報を元に地図を表示できる。

三波さんはP6000を使っているに違いない。
僕は急いで三波さんのメールの添付書類を保存し、ViewNX2を立ち上げた。
おそらく三波さんも「白いモヤ」が写った写真をViewNX2で見ていたはずだ。だとすると、GPS情報から正確に位置を把握できている。
同じ場所に「白いモヤ」の正体を確認しに行ったに違いない。そして、何らかのトラブルに遭ったのじゃないだろうか。
だとしたら急がないと、本当に大変なことになってしまう。そんな気がして妙に胸騒ぎがした。
ViewNX2が起動するほんの数秒もとても長く感じた。
急いでフォルダーから三波さんの写真を表示して、右側のメタデータをクリックした。
サムネイルの下にGPS情報付を示す地球をかたどったアイコンがついている。
「モデル名:Nikon COOLPIX P6000」ずーっと下にスクロールしていくと緯度、経度が表示されていた。
左上の「GPSマップ」アイコンをクリックすると写真に変わって地図が表示された。

「奥 さんっ!あ、ありました写真。あ、三波さんが僕に送ってくれた写真です。写真に地図が、地図情報が付いていて、何処で撮ったかわかりました。きっと、三波 さんはこの写真の『白いモヤ』をもう一度撮りに行ったに間違いないでしょう。そして何かトラブルに遭って、もしかしたら迷子とか、そんな状況で、きっと、 困っているに違いありません。」
僕は自分に言い聞かせるように早口でまくし立てた。

地図をプリントアウトし、自分のP6000を持って僕は車を走らせた。
僕の無神経な発言が三波さんを傷つけていた。自分が興味を持っていることをハナから馬鹿にするように否定されたら誰だって悔しいに違いない。
そのせいで三波さんが事件や事故に巻き込まれたとしたら・・・。
僕は自分のこれまでの発言を反省し、自分を責めた。
「三波さん、今行くから、きっと無事でいてくれッ!」

新宿から首都高速に乗り、中央高速を走り八王子JCTを過ぎた頃、携帯電話が鳴った。
車のハンドルに付いた受話ボタンを押して電話に出た。
「もしもし」
「しゅ、主人が見つかりました。」
「三波さん?三波さん見つかったんですか?何処ですか場所は?本人から電話があったんですか?無事なんですか?生きてますよネ?・・・・・・・・・・・・・・・・・」


翌朝、僕は富士吉田市にある市立病院前のビジネスホテルを夜明けと共にチェックアウトして、昨夜三波さんが無事発見された樹海の風穴に向かった。
昨夜、情けなさそうに謝る三波さんから聞き出した話によると・・・・

その日夕方5時頃、早めに仕事を切り上げた三波さんは「白いモヤ」が写った場所を目指して車を走らせた。
諏訪市の自宅から写真の場所まで2時間程、迷うことなくたどり着けば明るい内に着けるはずだった。
風穴の駐車場に着いたときは日没少し前だった。
念のため車に積んであった懐中電灯をバッグに放り込んで遊歩道を足早に進んだ。
遊歩道から少し離れた、前回写真を撮った場所を探している内に薄暗くなって来た。急ぎ足で歩き回っているうちに苔を踏んで足を滑らしてしまった。
運悪く滑り落ちたところが2メートルくらいの深さがある窪地で、滑り落ちる途中に木の根に足を引っ掛けてくじいてしまった。
窪地の底で足の痛みで身もだえていたが、我に返り脱出を試みた。
右足の痛みがひどくとても斜面を登れそうもない。さらに運が悪いことに、尻のポケットに入れておいた携帯電話が130キロの体重で押し潰されて使い物にならなくなっていた。
大きな声でなんどか叫んでみたが、暗くなってしまった樹海に人の気配は感じられなかった。
ここで三波さんはほとんど脱出を諦めたそうだ。
幸い窪地の底は落ち葉が敷き詰められた状態でそれほど寒さを感じない。
落ちたときにすっ飛んでしまったバッグを手探りで探し、懐中電灯を頼りにバッグの中をあらためると、車の中で食べるつもりだったおにぎりが2個と500mlのペットボトルが入っていた。
おにぎり1個とペットボトルのお茶を一口飲んで、落ち葉の中に身体を潜り込ませ身体を休ませた。
しばらく眠り込んだようだが、辺りが少し明るくなってきた頃、足の痛みで目が覚めた。
動こうとしたとたん、足が激しく痛んだ。違和感を感じる右足首を触ってみると拳大くらいに腫れ上がっていた。
自分で窪地を上がれないことを考え、持ち物をチェックした。
壊れた携帯、バッグの中にはおにぎりが後1個、500ml弱のお茶、入れっぱなしになっていたカロリーメイト1箱、ニコンクールピクスP6000、予備のバッテリー、手帳、財布、ボールペン、名刺、リップクリーム、メガネ、近視用だから光を集めて火を熾すことは出来ない。
人を呼んだり、誰かと連絡をすることが出来そうな物はなかった。
手帳にここまでの経緯を書き留めることにした。「ここに遺書を書くことだけは絶対ないように」と思ったそうだ。
人の気配がしたら大声を出そう。そう決めていたが残念ながら風の音しか聞こえない。

風穴の案内所のスタッフが朝一番に駐車場に車が止まっているのを確認していた。
夕方帰る時間になっても同じ場所に車が止まったままで不審に思った。
念のため帰る間際に警察に連絡をして、昨夜から止めっぱなしになっているらしい車があることを連絡した。
警察がパトロール途中によって、ナンバーを照会し所有者宛に連絡して三波さんの奥さんが対応、捜索を頼んだ。
僕はその時すでに中央高速を走っていた。
警察と地元の方が懐中電灯を振り、声を上げながら遊歩道の奥まで捜索開始。
三波さんはその声を聞き、大声を上げると共にP6000のフラッシュを暗闇に向けてたいて知らせたそうだ。
およそ24時間ぶりに発見され病院に運び込まれた。
警察からは遊歩道からそれた樹海は「林道から外れての入林は自然公園法・文化財保護法違反となり禁止されている。」と厳しく指導されたようだ。

僕が昨夜病院にたどり着いたとき三波さんは元気そうだった。
しきりに謝っていたが、僕は無事だったことが嬉しくて泣き笑い状態で三波さんをバシバシ叩いてしまった。
それから奥さんがタクシーで駆けつけるまでの1時間程の間に一部始終を聞いた。

病院の前にあるビジネスホテルから風穴までは車で20分程だった。
途中にいくつもの風穴、氷穴の案内表示があった。さらに温泉もある。
三波さんが「白いモヤ」を撮影した風穴周辺を1時間程歩きながらP6000であちこちを撮影してみた。
三波さんには申し訳ないが、僕のカメラには不審なものは写っていなかった。
考えられる事は、
樹海は溶岩流の上に出来た針葉樹林でその下には溶岩が冷えて固まる際に出来る溶岩洞が数多く空いている。
その大きな物が氷穴や風穴として観光地化されている。
近くに温泉もあるのでその蒸気が溶岩洞を通り数キロ離れた場所に吹き出してもおかしくない。
また氷穴と呼ばれる溶岩洞の内部は非常に低温でその付近に湿った空気が流れると冷やされて水分が氷結し霧状に見えることもある。
おそらく三波さんが写真を撮影した背後にそのような蒸気か霧が立ち上りそれが薄暗い樹海の中で光を受けて浮かび上がったのではないだろうか。
その現象を写真に撮って三波さんに見せてあげたかったのだが・・・。

僕は風穴を後にして三波さんが入院している病院に戻った。
東京にやりかけの仕事を残してきたため、三波さんに挨拶をして戻るつもりだ。
病室をのぞくと朝食が終わった後だった。
僕は考えられる「白いモヤ」の正体を三波さんに話した。
「残念ながら写真は撮れなかったけど、たぶんそういうことだと思うよ。」
「そうですか、なるほど」
「まっ、気を落とさず、まずは早く元気になって下さいよ。」
「そうですね。ところでですね、昨日話さなかったんですけど、樹海の中で丸1日横になっていて、結構いっぱい写真を撮ったんですよ。何しろ樹海ですから、いろんな物がウヨウヨいるわけです。きっと写真に写っていると思うんですよね・・・・・」

僕は最後まで聞かずに後ろ手で手を振りながら病室を出てきた。
「だめだ!全然懲りてないッ。」


おわり


この話はフィクションです。
登場人物は実在しません。

2011年10月7日金曜日

クールピクス 失踪事件  その1

「火の玉が自由自在に出せるようになった。」こんなメールをもらって僕は仕方なく三波さんに会いに行った。また例によって三波さんの「心霊写真」に付き合わなくてはならないとちょっとウンザリしたが、「今新宿にいるけど会えませんか?」と続き、仕方なく出かけることにした。ただ指定された喫茶店がなつかしいジャズ喫茶だったのでちょっとは楽しみでもあった。

三波さんと初めてあったとき、彼の体重は180kgあった。音楽雑誌の「180キロの歌手デビュー!」という取材で、僕が撮影を担当したのだ。取材は青山にある音楽スタジオで行われた。そのスタジオの隣に墓地があり、その下をトンネルが通っている。初めてあった彼は見事な巨漢でなかなか絵になる。スタジオ内でインタビューカットを撮った後、外に出てもらい隣のトンネル内で決めカットを撮影した。撮影はトンネルの入り口の壁により掛かりトンネルの出口が背景に写るようなフレーミングで撮影した。カメラはニコンF5にフジクロームアスティアを詰め、横位置の引きを28ミリで、縦位置アップを85ミリで撮った。

「お腹を壁に付けて身体をグーッと反らせて下さい。」
「壁に手をついてにらむような感じでこっちを見て・・」
等、色々なリクエストにこたえてポーズをとってくれた。
「はいッ!OK」と、僕の声で撮影が終了すると、
三波さんが「変なのが写らなければいいけど・・」と、妙なことを言った。
「大丈夫ですョ。なかなか格好良かったです。いい写真撮れました。」
「この上、墓地なの知ってます?」
「知ってますよ。墓地の下くりぬいてトンネルほってあるんですよね? え〜ッ!変なのって、その変なのですか? 写りませんよそんなの!」
一緒に歩いていたマネージャーが「ごめんなさい。この人、心霊写真とか大好きなんです。気にしないで下さい。無視して下さい。」
「僕はプロカメラマンなんで、心霊写真のインチキなんかすぐ見抜きますよ。」
そんな会話がはずんで、後日写真を見せてもらうことにした。

一週間ほど後、編集部に上がりを届けに行きそこで三波さんと再会した 。
マネージャーが写真をチェックしている間、僕は三波さんに彼が集めた「心霊写真」を見せてもらった。こういった写真はカメラマンが見るとなぜそうなったかわかるものがほとんどだ。

「これはレンズゴーストですよ。逆光で撮影すると、太陽の光がレンズ内部で反射して出るんです。確かに『ゴースト』ですけど、コーティングがあまり良くないレンズだと簡単に出ます。」
「これは手前に座っている人が吸っているたばこの煙です。フラッシュの光が強く当たってこれだけはっきり写ったんです。フラッシュの光は距離の2乗に反比例します。1mの距離を1とすると、2mでは1/4、3mでは1/9になります。この場合奥の人物に適正にフラッシュを当てると手前の煙には9倍の光が当たり、肉眼では認識できないような薄いモヤがこんな風に写ってしまうんです。」
「いるはずもないおばあさんが写っている?これは二重露光です。おそらくカメラをぶら下げて歩いている間に偶然シャッターが切れてしまったんです。この第一露光で意図しないおばあさんが偶然写ってしまった。次にこの滝の前で記念写真を撮ろうとしたとき、すでにシャッターが切れているので、押せない。慌てて巻き上げるときに巻き戻しクランクを押さえたまま巻き上げると、フィルムにテンションがかかって、パーフォレーションが裂けてしまう。するとフィルム送りがされずにシャッターチャージだけ行われて二重露光が起こってしまう。ネガのパーフォレーションを見ればすぐにわかりますよ。」

ケチョンケチョンに全否定してしまった。

写真チェックを終えたマネージャーと編集者の視線を受けて、慌ててフォローした。
「でも、まだ、科学では解明できない、不思議な現象もたくさんありますから、僕もすごく興味があります。また、ぜひ、見せてください。」

それから、毎年マネージャーから年賀状が届くようになった。

3年くらい年賀状のやりとりが続いた後、本人からはがきが届いた。
そのはがきには、芸能活動をやめて実家の長野に帰り家業を継ぐこと、心霊写真は今でもコレクションをしているが、人が撮ったものではなく自分で撮影していることなどが書いてあった。今度は自分が撮った写真をぜひ見てください。との後に、実家の住所とメールアドレスが書いてあった。
僕はいつぞやの無礼を丁寧に詫びたメールをすぐに出した。
それからメールのやりとりが続くようになった。
プロの歌手はやめてしまい、家業の造り酒屋を次いだ三波さんだが、年に1,2回知り合いのライブにゲスト出演したり、家業の営業で東京に来ている。メールをもらうと僕もいやとは言えずお茶を飲みに行き心霊写真を見せられる。

僕は自分のスタジオから歩いて新宿歌舞伎町の近くにあるジャズ喫茶「D」に向かった。
靖国通りを1本曲がり裏道に入り、地下に降りる階段をおりた。1段階段をおりるに連れだんだん音楽が大きく聞こえ、ドアを開けるとコーヒーのいい香りが漂っていた。
三波さんは入って左側の角の席に一人で座っていた。
「今回は何ですか?」
「明日、六本木の『SB』のライブにゲスト出演するんですよ。」
三波さんは以前より体重を50kg落としたそうで、最初にあった頃とは見違えるほどスリムになった。
それでも130kgある巨体を前のめりにして僕の前に写真を置いた。
「火の玉ってなんですか?」
「見てくださいよ!」
「これですか?どれが?火の玉ですか?」
「後ろに写っているでしょ。こっちも、これも・・」

見せられた写真は、居酒屋で撮った写真で、ど真ん中に三波さんが写っている。真後ろにビールのポスターが貼ってあり、そこにカメラのフラッシュが反射して丸く写っている。ほかの写真も同様で、ホテルのロビーで撮影した写真の後ろにはガラスのドアがあってそこにフラッシュの光が写っている。僕はあきれて、一蹴してしまった。

「何言ってるんですか?これはカメラのフラッシュの写り込みですよ。はっきり言って失敗写真じゃないですか。壁に対して真っ正面から撮るとこうなるんですよ。壁を背景にする場合は必ず壁に対して斜めの角度から撮ってください!これじゃ心霊写真どころか、素人以下ですよ・・・」

またケチョンケチョンにけなしてしまった。

ちょっと反省して話題を変えた。
明日のライブの話や、家業の話、僕の近況などをしばらく話し店を出た。
明日の打ち合わせとリハーサルに向かう三波さんに、
「また、見せてくださいね。今度はメールに添付してください。」と精一杯フォローしたつもりだったが、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。

自分のスタジオに戻って、Webで六本木「SB」の明日のライブ情報を確認して、会場に花の発送の手配をした。

ライブ会場には仕事の都合でいけなかった。
普段だと翌日には花のお礼のメールが来るのだが、そのときはメールも来なかった。

それから1ヶ月くらい経った頃だろうか、三波さんから添付書類付きのメールが届いていた。
「今度は本当に写った」と言う添付写真を見ると木がたくさん写っている家族写真で、後ろの方に人くらいの大きさで「白いモヤ」のような縦長のものがうっすらと写っている。説明では家族で遊びに行った樹海の風穴近くで撮ったもので、何となく生暖かいいやな空気が流れていたそうだ。撮影時には気がつかなかったが後になってパソコンで確認して「モヤッとしたもの」を発見したそうだ。
「確かに何か写っていますね。ゴーストやフラッシュの反射ではないようですから、実際に何かがあったのでしょう。ただ人の陰に隠れて全体が写っていないのが残念です。その場で気がついて何枚も撮影していれば正体がもっとはっきりしたので残念です。デジカメなのですから、撮ったらすぐモニターで確認すると何かが写っていた場合すぐに気が付きますよ。」と、返事をしておいた。

それから2日後の夕方6時を過ぎた頃、仕事場で写真のセレクトをしているときに携帯電話が鳴った。表示された番号が知らない番号だったので、ぶっきらぼうな声で電話に出た。
「もしもし」
「あのー、突然すいません。三波の家内です。」
「三波さん?あー三波さんの奥さん。以前仕事で諏訪に行ったとき一度お目にかかってますよね?ご無沙汰してます。で?あれ?三波さんどうかなさいましたか?」
「実は、昨日から帰ってきていないんです。」
なんで旦那が帰ってこないのを僕に電話してしてきたのか?変な奥さんだな、と思いながらも聞き返した。
「携帯は?かけました?」
「ええ、かけたんですけど通じないんです。で、主人が出かけるとき変なことを言っていたので、主人の年賀状から携帯の電話番号を探して、失礼だと思ったんですがお電話した次第なんです。」
「変な事ってなんですか?」
「今度こそ、しっかり写真を撮って、本物の心霊写真と認めさせる・・・・とか?」
「えっ?心霊写真?で、僕ですか?」
「そうだと思うんです。いつも東京から帰ると悔しがっているんです。『また否定された』と・・・」
「あ〜すいません。それ僕のせいだと思います。そうですか、悔しがっていたんですか?いや〜申し訳ないことをした。でも、僕はどこに行ったか知りませんよ。」
「そうですか〜?何か手がかりになることでもご存じないかと、藁にも縋るつもりでお電話したんですが・・・そうですよね。じゃあ警察に捜索願を出してみます。」
「済みませんなんにもお役に立てなく・・・、ん?ちょっと待って下さい。一昨日だったかな、三波さんからメールが来たんですが、そこには息子さんと奥さんが写った写真が添付されていました。もしかしたら、そこにまた行ったんじゃないかと思うんですけど何処だったか覚えていませんか?確か『樹海の風穴で撮った』って書いてありましたけど・・」
「全然覚えていないんです。よく主人に連れられて不気味なところへ行くんですけど、私も息子も余り興味がないので・・・、車の中では寝てますし、あのときは洞窟だか風穴だか何ヶ所も行ったので・・・。」
僕は何か三波さんが行った場所の手がかりになるものがないかとパソコンのメールを開いた。
「ちょっと待って下さい。三波さんその時どんなカメラで撮っていたか覚えてませんか?」
「さ〜よく覚えてませんけど、いつも『プロカメラマンに勧められたカメラだ』って自慢してました。」
「そっか!奥さんもしかしたら三波さんが行った場所わかるかもしれませんよ!」

つづく


この話はフィクションです。
登場人物は実在しません。