2011年10月23日日曜日

ニッコール85ミリと180ミリの 曖昧な記憶


ケイ?
けい子?
記憶がはっきりしない。
僕はケイちゃんと彼女のことを呼んでいた。
僕はリクと呼ばれていた。

ケイちゃんと知り合ったのは僕が25歳の時だ。
僕はこの頃はカメラマンのアシスタントをしていて、フリーランスのカメラマンなるため、時間があれば作品を撮影していた。
ファッションカメラマンのアシスタントをしていた僕の作品の被写体は女の子で、師匠の真似をしてファッション写真風の作品を撮っていた。


モデル代が払えないから頼むのは素人の女の子ばかり。撮影するとモデル代の代わりに写真を大きくプリントしてあげて、その時、次にモデルになってくれる人を紹介してもらっていた。
今から思えば、プロのモデルじゃない素人を大勢撮影したことは後にカメラマンになってから大いに役に立ったと思う。
そして誰かに紹介してもらったのがケイちゃんだった。

ケイちゃんは六本木にある劇団の研究生だった。
小柄で丸顔のケイちゃんはちょっと美人で、キュートで、元気で魅力的な女の子だった。
初めて撮影したのは僕が働いていたカメラマンのスタジオで、夜2時間、作品撮りのために借りて撮影した。
写真撮影には2種類あって、英語で言うと 「Photo shooting」 と 「Photo session」 だ。
人物撮影の場合、フォトシューティングはモデルを自由に動かしておき、カメラマンは良い瞬間を狙い撃ちする。フォトセッションはモデルとカメラマンのコラボレーション撮影になる。モデルと初対面だとお互いにどんな人で、何ができるのか、どうしたいのか解らないから探り合いながら、様子を見ながら撮影する。初めての撮影でも意気投合すれば相乗効果ですばらしい結果が生まれるが、うまくタイミングが合わないこともある。
その日の撮影は、時にクールに、時にキュートに、変幻自在のケイちゃんは被写体としては満点だった。
原宿駅前のビルの4階にあるスタジオで夜9時に撮影が終わり、2階にあるレストランで僕らは食事をした。
撮影終わりのケイちゃんは饒舌で、自分の夢をめいっぱい語ってくれた。
当時は無口だった僕は、オムライスを食べながらケイちゃんの話を一生懸命聞いていた。
「リクさん。」
「ん~。」オムライスを食べている僕は鼻で返事をした。
「今日すごく楽しかった。演技の勉強をしているじゃない? でも、なかなか主役になることは出来ないのよ。わかる? 聞いてる? 」
「聞いてるよ。」
「でも、今日、私、主役だった。すごく嬉しかった。『私女優よ。私を見て。私を撮って。』 って、そんな感じ?  ね~ わかる? 」
「んー わかるよ。でもまだ結果を見てないだろ? できあがりの写真。」
「ううん、絶対いい。見なくてもわかる。」
「1週間くらいでベタ取るから、それ見て写真選んで。気に入った写真プリントしてあげるから。 」
ケイちゃんは聞いていない。
「また撮って。次はロケ。 そうだ。 毎月1回撮影しよう。 絶対いい。 ね? 」
半ば押し切られたようだが、実は僕もケイちゃんをモデルとして、いや女優として評価していた。
素人のかわいい子とはちょっと違う、演じることが出来る秘めたる資質を感じていた。

そんな始まりから僕はケイちゃんをモデルに毎月写真を撮った。
2回目の撮影は代々木公園でロケをした。
3回目は新宿御苑で・・・

そんな感じでほぼ月1でフォトセッションをしながら僕らはカメラマンとして、女優として少しずつ成長していったような気がする。
恋愛感情はまったくなかった・・・

実は、2回目の撮影を代々木公園でした後、原宿駅前でご飯を食べながらケイちゃんが言った、
「私彼氏がいるの。」
僕はなんにも聞いていない。
「サラリーマンの彼氏で10歳年上なの。」
「あ、そ~。」 って感じだ。
3歳年下のケイちゃんは、確かにかわいいが、おテンバな妹みたいな感じで、恋愛対象とは考えていない。
聞いてもいないのに、なんでそんなこと言うかな~と思った。

そんなケイちゃんとの出会いからおよそ1年後、僕は26歳でアシスタントをやめ、フリーランスのカメラマンになった。
ケイちゃんは研究生を終了し、10人に1人しか残れない団員に選ばれ、正式に劇団員になっていた。
月1ではないが、時々下北沢であってご飯を食べながら愚痴を聞いてあげた。
劇団員になっても給料は出ない、劇団公演は年に数回しかない。普段はアルバイトをしながら、テレビや映画、舞台のオーディションを受けて、合格するとバイトを休んで女優をする。
僕はカメラマンになって、実家を離れ下北沢のアパートで一人暮らしをしていた。
雑誌の撮影を一回すると5~6万円にはなり、ひと月に5~6回は撮影があったが、不安定で、1週間なんの仕事もないと、このまま忘れられてしまうんじゃないかと、不安な日々を送っていた。

夜11時くらいに電話が鳴った。
ケイちゃんだった。
「悔しい! オーディションおっこった。」
「仕方ないよ。ケイちゃんが悪い訳じゃないだろ、きっと役に合わなかっただけじゃないか? 」
そんなことを言いつつも、ケイちゃんの気持ちはすごくよくわかる。
僕だって、作品を持って売り込みにいっても必ずしも使ってもらえるとは限らない。
「僕の方がいい写真が撮れるのに、何故『今いるカメラマンで十分』なんて、お座なりな考え方をするんだ」と悔しい思いをしょっちゅうしている。
「電話じゃ気持ちが通じないから、今から行ってもいい?」
「いいけど、帰りの電車なくなっちゃうだろ?」
「いい! 朝までとことん喋る。 タクシーで行く! 下北のどこに行ったらいい? 」
「じゃあ、本多劇場の側の駅前に11時半に待ってるよ。」

駅前のマックはもう閉店していた。
半を少し過ぎた頃、タクシーが止まりケイちゃんが降りてきた。
「どうする? どっか入る? 」
「リクの家は? 」
「家? すぐそこのアパートだけど、『Jazzまさこ』の先・・・ え? 家くる? 」
「いい? だって話したいこといっぱいあるんだもん。」
「わかった。じゃあいいよ。」
「ごめんね、こんな遅くに。」
「いや、別にいいよ。明日撮影ないし。」
「だって、こんな時間に電話できて、私の気持ちわかってもらえるのリクしかいないんだもん。」
「彼氏は? 」
「だめ、サラリーマンだもん、全然わかってもらえない、とっくに寝てるし。」

自動販売機で缶コーヒーをふたつ買って、僕の部屋に向かった。
ケイちゃんは週に2回劇団に行って稽古をしたり、事務処理の手伝いをしながら、様々なオーディション情報でオーディションを受けている。今回も最終面接までいって、落ちてしまったそうだ。
「私何やっているんだろ?
毎日生活のために居酒屋でバイトして、オーディション受けてもみんな落っこちて、
これじゃただの居酒屋の店員じゃん? 」
慰めの言葉もなかった。聞いてあげることで少しでも楽になるならと、なるべく反論せずに相づちを打ちながら聞いてあげた。
「また写真撮って!
じゃないと私、女優終わっちゃう!」

午前2時くらいまで話を聞いて、ケイちゃんはそのまま僕のアパートに泊まった。
「リク、変な事しないでね? 私、彼氏いるから。それよか、リクとはわかり合える親友でいたいの。変な関係になりたくないのよ。」
「わかってるよ。なんにもしないよ。」

ケイちゃんは僕のベッドで、僕は床で寝た。

翌朝は変な感じだった。
男女だけど恋愛関係でもない、
朝は喋ることもなく、2人とも言葉少なく、
駅前のマックで朝食を食べた。

その週の、ケイちゃんがバイトが休みの日に僕らは軽井沢に撮影に行った。
撮影場所はアシスタント時代にロケで行ったことがある雲場池を選んだ。
僕は買ったばかりの「ニコンF3」に、これもほとんど初めて使う「AiニッコールED180ミリF2.8s」を使った。
ファッションの撮影で、うしろをボカして使うには最適のレンズだ。思うようなファッション撮影の依頼がなく初めて本格的に使った。
ケイちゃんはこの日のために白いドレスを買って持ってきていた。車の中で着替え、ケイちゃんは雲場池にドレスの裾を持って足を浸けた。秋とはいえ水はかなり冷たかったはずだ。
僕はニコンF3を三脚に据え、アングルを探した。
今回はフォトセッションではなくフォトシューティングで撮る。
ケイちゃんにはロングで周りの木や緑や池を生かした撮り方をするので、自分で演じて自分で動くように指示した。
足を水に浸けたり、踊るように廻ったり、にらむような表情を見せたり、一人芝居を演じていた。
180ミリを開放で使い、彼女だけにピントを合わせ、辺りをボカして撮影した。
次に、浅間山の麓の鬼押しハイウェイに移動して、長いショールを風になびかせるようにして180ミリで撮影した。

それからしばらくして、
ケイちゃんはオーディションに受かり初め、テレビに台詞付のチョイ役で出演したり、舞台に上がったりと、女優の活動を始めた。
僕も徐々に念願のファッション撮影の依頼が来るようになっていった。

知り合って3年目になった頃、また夜遅くにケイちゃんから電話があった。
タクシーで僕のアパートに来ると、映画出演が決まったことや、来年ロングランの舞台が決まりそうな話を楽しそうに話して、僕の部屋に泊まった。
僕らは床に布団を敷き、電気を消し、隣同士で喋りながら眠りについた。
「いつの日か、僕がカメラマンで、女優のケイちゃんを雑誌の仕事で撮影できたらいいね・・・」
そんな話を目をつぶったまま話していると、

「リク、私のヌード撮って。」
「やだよ!」
「なに! 即答? 」
「だってやだよ! ケイちゃんのヌードなんか・・ やだよ!」
「だめ! 撮らなきゃ! リクには私を撮る責任があるの!」

なんだかよくわからない理屈だが、押し切られて撮影する・・させられる羽目になった。
「スタジオで、うしろから強い光に照らされて裸の私が立っているの・・・」
そんな撮影プランを聞かされながら僕は眠りに落ちていった。

半分眠った状態で意識が遠のいてゆく中、ケイの左手が僕の布団の中にゆっくりと入ってきて僕の右手をつかんだ。
ケイは僕の右手を上からつかむと、そのまま自分の布団の中まで引っ張ってゆき、僕の手を自分の左胸の上においた。
僕はケイの胸のふくらみを感じながら眠りに落ちていった。
「ごめんね・・」
そんなケイの声が遠くで聞こえた。

僕は後輩に頼んで、以前働いていたスタジオを2時間貸してもらう手配をした。
ケイちゃんはダイエットをして撮影に臨んだようだ。
僕の撮影プランは、スタジオ撮影だがストロボを使わず、アベイラブルで撮影しようと考えた。
照明は500wのアイランプ1灯、壁にバウンス。
この日のために「Aiニッコール85ミリF1.4s」を購入した。
それまではニッコール85ミリF2を使っていたが、F1.4がちょうど発売されたので、この機会に購入した。
周りをバウンス用の白いパネルで囲んでニコンF3にトライX。
1/30でF1.4
現像はD76を希釈してフラットに仕上げた。

ケイちゃんに電話をした。
 「こないだの写真、ヌードの、出来たよ。10枚ほど8×10にプリントした。」
「いらない。」
「え! なんで。写真だよ。」
「いらない。
撮って欲しかっただけなの。
写真はいらない。
25歳の私を記録しておきたかったの。
 私はここにいますって・・・」
 「だったらいいけど・・・見る。」
「いい。持ってて、リクが持ってて。」

僕は女心がわかったような、わからないような・・・
とりあえず、印画紙の箱に収めて保管した。

それから何ヶ月か経って、
ケイちゃんから電話があった。
「今、稽古中なんだけど、来月からロングランの芝居が始まるの。東京で2週間、その後、名古屋、大阪、九州まで行って、その後北陸、東北、北海道まで6ヶ月間。」
電話の向こうでケイちゃんの嬉しそうな声が踊っていた。
「後、映画が公開になるから見て。シーンは短いけど健さんと競演なんで・・」

その電話がケイちゃんとしゃべった最後になった・・・・・・



里美から電話があった。

「知ってる?」

里美はケイちゃんと同期の劇団員だ。

「ケイちゃんが乗った劇団のバスが・・」

里美にもモデルを頼んだことがある。

「新潟の十日町で・・」

僕は里美からの電話を切った後、朝刊を改めて開いてみた。
「新潟県十日町市の県道で東京の劇団○○○のバスがガードレールを突き破って転落し・・・
乗っていた劇団員○○けい子さん(26)が全身を強く打って死亡・・・

それから何日か経った。
里美から電話があった。
ケイちゃんの両親が北海道から出てきていて、今、ケイちゃんのアパートの片付けをしている。
東京での話を聞きたいらしい、リクさん来てもらえないだろうか?
そんな内容だった。

僕は、ケイちゃんの写真、唯一手元にあるケイちゃんの写真を持ってVF400で下高井戸に向かった。
ケイちゃんのアパートには初めて行った。
里美とケイちゃんのご両親がいて、荷物を片付けていた。
僕はケイちゃんとの出会いやこれまでのつき合いを話し、8×10が入った箱を渡した。
「ケイちゃんの大切な写真が入っています。ケイちゃんは 『私は今ここにいます』 って言う写真が撮りたかったって言ってました。」
「今、けい子の日記がありましてね。読むと芝居の事の間に、リクさんの話がたくさん出てくるんですよ。それで里美さんにお願いして、連絡していただいたんです。」
「でも・・」
僕は里美の方を見ながら、
「ケイちゃん、彼氏いましたよね? 」
「さ〜そうですか?日記には出てきませんけど。」
「え? 里美ちゃんは聞いてるでしょ? 」
「私は知りません。」

あれからもう30年近く経った。
あの頃のネガを最近になって探してみたが、見あたらない。
ケイちゃんの顔もよく思い出せない。
今となってみると、
ケイちゃんに彼氏はいたんだろうか?
いや、それどころか、
ケイちゃんは本当にいたんだろうか?

僕にはよくわからない・・・
僕は本当に写真を撮ったのだろうか?


※この話はフィクションです。
登場人物は実在しません。

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