カメラマンに成り立てのころは、
「何時いつ何処どこへ行って何なにを撮ってきて下さい」といった、内容はともかく写真が必要だという使いっ走り的「足」の仕事。記事中写真としてのあつかい。
少しランクが上がると、
「こんな写真にしたいんだけど出来るかな?」「出来ますよ。ライトを加減して長玉でボカせばこうなります」といった、技術が要求される「腕」の仕事。写真中心だが文章も重要なページが多い。
もっとランクが上がると、
「今回こういうテーマなんだけど」「わかりました。じゃあ、画作りは任せて下さい」といった、アイデアやセンスが要求される「頭」の仕事。写真が全面に使われる、いわゆるグラビア写真等。
ランクが上がるに連れ写真の大きさ、あつかいも大きくなってくる。
カメラマンになってすぐ、無理して購入したハッセルブラッドだが、いっこうに中判カメラの出番はなかった。しかし、もしもそんな仕事が来てもシステムが揃っていない。当初の予算内で購入できたのは500C/Mボディと150ミリ望遠レンズのみ。仕事で本格的に使おうと思えばさらに、50ミリ広角レンズ、80ミリ標準レンズ、フィルムマガジンが2個、合計70万円ほど必要だった。日頃使っているニコンのカメラボディを新機種に替えたり、交換レンズを明るいレンズにグレードアップしたり、そんなこんなに受け取ったギャラを使っていてとてもハッセルブラッドにまで予算がまわらないでいた。ポラカメラとして使っていたハッセルだったが、1982年「コンタックスプレビュー」ポラカメラが発売され、ニコンマウントに改造し使い始めるとますますハッセルの出番はなくなっていった。そして友達の友達に貸したところ「使っていないのなら是非譲って欲しい」言われ、35万円で譲り渡した。カメラマンになって2年を過ぎたころだった。
これが基本形のRZ 110ミリ付 |
このマミヤRZが僕が仕事で使った最初の中判カメラである。
180、ペンタプリズム、ワインダーを付けたRZ67。合体ロボか? |
このRZも雑誌の撮影ではなかなか出番はなかったが、しばらくしてB全ポスターの依頼を受け本格的にRZを使い始めた。
雑誌の場合はカメラマンにまかされる部分が多いが、ポスター撮影などはしっかりとレイアウトが決まっている。モデルの場所、背景の色、文字の位置、全ては事前に決まっていて、それに合わせて撮影しなくてはならない。その時はモデルは右の位置で向かって左を向き、左にキャッチコピー、下に会社名などが配置されたレイアウトだった。デザイナーが描いたラフコンテを見ながら、先ずはセットを組んでライトをセットしポラを切る。デザイナーとディレクターがそのポラを見てクライアントと相談、そんな進行状況だった。
僕はその頃は35ミリのニコンで撮影することがほとんどなので、はっきり言ってRZ67にはあまり慣れていなかった。ニコンとの違いはたくさんある。シャッターを切ったとたんファインダーは真っ暗になり、フィルムを巻き上げるまでファインダーは見えなくなる(ハッセルも一緒)。ファインダーは正面向きでなく真下を見るようにのぞき込む。大きな違いは、左右が逆さまに見えること。傾きをなおそうとしても左右の空きを調節しようとしても反対に動かしてしまう。モデルを見て、ファインダーを見ると反対に見えてしまって混乱するので、ファインダーの中に集中することにした。「モデルの背中側を減らして前側の空間をもう少し大きく取り、全体を少し引いて周りに余裕を持たせ・・・」こんな風にフレーミングを決めポラを撮る。そのポラを元にデザイナーがトリミングスケールとトレぺを使ってレイアウトを詰めて行く。順調に撮影は終了し、ラボにテスト現像を出し家に帰った。
撮影したポラは全てクライアントとデザイナーが持ち帰った。僕の手元に残ったのはラフコンテ・・・。モデルは右で左に空き・・・。こんなレイアウトで撮った記憶がない。全部モデルを左に配し、右に空きを作った。もしかして全部左右反対に撮ってしまった?いやそんなことはないファインダーが逆に映るからだ。解っていても心配になってしまい何でポラ1枚手元に残しておかなかったのか後悔した。もしかしてラフコンテを裏返しに見て本当に左右反対に撮ってしまったかも?そんなことはない。デザイナーもクライアントも確認している。でももしかして左右が逆だった場合、裏返しに製版すれば救えるか? いやそれは無理だ、服のあわせが反対になってしまうからそれは出来ない・・・。延々そんなことを考えてしまい眠れぬ夜を過ごしたが、、、翌朝ラボに行ってみれば全て取り越し苦労。問題なく左右はコンテ通りに写っていた。
仕上がりは上々で初めてのポスター撮影には十分満足できた。それまでは雑誌に写真が載っていてもすごく満足出来たのだが、大きく印刷されたポスターが駅や街の中に張り出されるのはカメラマン冥利に尽きる喜びだった。
その後「マミヤRZ67プロフェッショナル」の出番は徐々に増え50ミリ広角レンズ、250ミリ望遠レンズなどと左右が正像に見えるプリズムファインダーを購入し「左右逆像」の呪縛からは解き放たれた。
RZ67と645AFD |
初めてロケで使ったのが鎌倉にある日本庭園でロケをした新人女優さんの撮影だった。庭園で撮影しているときは気にならなかったのだが、和室の室内で撮影し始めて音の大きさに驚いた。ニコンだったら「カシャ!ウィン(シャッター音と巻き上げ音)」程度の音だがマミヤ645は「ガシャンッ!ギャーーッ!!」ととてつもなく響く。新人女優さんに「元気のいいカメラですね」とほめられた。
このへんがペンタ645との違いなのかと、ちょっと後悔した瞬間でもあった。
645一式をバッグから出した。レンズは5本しか写っていない。 |
デジタルカメラの時代になって35ミリカメラの撮影はすべてデジタルに変わっても、中判カメラの圧倒的高画質はデジタルでも追いつかずしばらくはデジタルと中判フィルムカメラを併用した。
2005年キャノンが「EOS 5D」を発売したころからプロの世界でもデジタルへの移行が始まり、2007年「ニコンD3」を導入したころから僕の仕事もデジタルに完全移行した。
現在はフィルムカメラ マミヤ645の出番はない。
しかし、2002年に僕は新たなマミヤを導入した。「マミヤ645AF D」 当初はフィルム撮影で使用していたが、フィルムバックをデジタルバックに交換するとデジタルカメラにもなる。しかもプロ用デジタルバックのフェーズワン、リーフ、両メーカーと連携しハイエンドデジタルカメラに変身可能。ニコンやキヤノンと違い、必要に応じてデジタルバックを交換すれば、カメラごと新機種に買い換えなくてもよい次世代に対応できる仕事カメラである。
フィルムバックをデジタルバックに交換すればAFデジタルカメラになる。ただし、バックだけで100万円以上する・・・(汗)。 |
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