2011年9月1日木曜日

僕の初一眼レフカメラ 「アサヒペンタックスSP」


僕の初めての一眼レフカメラ、それは「アサヒペンタックスSP」だった。

ペンタックスSP 55mm付 ¥42,000
その年 僕は埼玉県の県立高校に入学した。
中学3年生の受験勉強中、父から「公立高校に一発入学できたら、なんか入学祝いを買ってやる。だからがんばって勉強しろ!」
と言われ、自分なりにがんばって志望校に合格した。その高校は僕が入学する前年の選抜春の高校野球で甲子園で優勝していて、僕が入学した年の競争率はそれ以前より高かった。それはさておき、
「入学祝っていくらぐらい?」
「5万円!」
確か、当時の1ヶ月の小遣いが2000円。5万円はビックリするほどの大金だ。
欲しいものがいくつかあって、
グライダーのパイロットになるための航空倶楽部への入会、映画を撮影するための8ミリカメラと映写機、一眼レフカメラ、反射式天体望遠鏡・・・思い出せるだけでこんなものが自分の中で候補にあがっていた。
高校生でも入会できる学生航空連盟の入会資格を調べたら視力に関する規定があって『裸眼で0.○○以上』という規定にひっかかり入会できないことがわかった(今はこんな規定はない)。
入学後、クラブ活動で「映画部」に入部し8ミリカメラを買ってもらおうと思ったが、入学してみたら「映画部はかつてあったが、部員がいなくなり廃部になった」。
天体望遠鏡は「普通のものが見えない」と父に反対され、結局一眼レフカメラを買うことになった。

 父と一緒にその年の「日本カメラショー」を見に行き、何台もの一眼レフカメラを実際に手にとり、カメラ総合カタログをつぶさに研究し、最終的に「アサヒペンタックスSP」に決めたのだった。
当時、キヤノンFT、ニコマートFTn、ミノルタSRT101 などが候補にあがり、最後まで悩んだのがニコマートだった。ペンタックスとニコマートでは価格差はそれほどなかったが、交換レンズなど後にシステムで揃えるとニコンでは圧倒的に高くなる。さらにペンタックスならどの店で聞いても定価から10%以上値引きされるのにニコンはどこでも5%しか引かず、後々レンズを増やすことを考えてペンタックスにしたのだった。
交換レンズなくして一眼レフにあらずと、ペンタックスSPの標準レンズを50ミリF1.4よりも値段の安い55ミリF1.8付に押さえて、予算を少しオーバーしたが「サンズーム」をセットにして入学祝いとして買ってもらった。
これが僕の初めての一眼レフカメラになった。
ニコマートFTn 50mmF2付 ¥46,500
高校に入って入部した写真部は新入部員5〜6人、全部員で15名ほどいて理科室が部室、隣に暗室があってそこで初めて写真の現像、プリントを体験した。薄暗く赤い暗室電球、酸っぱい酢酸のにおいの中、現像液の中の印画紙にゆっくりと画像が浮かび上がってくるときの感動は今でも忘れてはいない。
僕の通った高校は当時男子校で(今は共学になっている。今でも何故男子校に行ったのか後悔している)、女子と交流できる機会は文化祭くらいしかなく、写真部全員が文化祭に懸けていた。1年生が文化祭で作品を展示するには3年生の審査が必要で、OKがでなければ1枚も展示できない。それこそ自分の写真が1枚も展示できないことは写真部員としては一大事で、なんとしても良い作品を撮らなくてはならない。僕は一大決心をして夏休みに北海道一周撮影旅行を敢行した。

サンズーム 定価 ¥27,000
僕の持っている機材は「アサヒペンタックスSP」、レンズは「スーパータクマー55ミリF1.8」、レンズメーカー製「サンオートズームレンズ85-210ミリF4.8」の2本しか持っていない。広大な北海道を撮影するにはどうしても広角レンズが必要だ。高校1年の夏休みの前半2週間アルバイトをし、そのアルバイト代で「スーパータクマー28ミリF3.5」を買って、夏休みの後半1人北海道に向かった。

上野発の夜行列車は最初は混んでいたが、宇都宮を過ぎたころから結構すいてきて、4人掛けのボックス席を1人で占領することが出来た。しかし、横になっても斜めになっても何とも寝心地が悪く寝たのか寝てないのかわからないうちに青森駅に到着。ここからいよいよ本格的に撮影を開始した。青函連絡船、大沼公園、積丹半島、札幌、旭川を経て釧路に到着したのは3日後くらいだっただろうか。

広い北海道を効率よく、しかも安くまわるために僕が考えたのは夜行列車での移動だった。大沼公園、積丹半島を回った後札幌に着き、夜行列車に乗って旭川に向かう。層雲峡などをまわった後、また夜行列車に乗って次の目的地に向かう。これだと宿泊代がかからず、寝ている間に移動できる。寝かたも次第になれてきて、ボックス席の椅子のクッションをはずして床に置きその上で寝ると結構眠れる。

釧路からバスに乗ってこの旅一番の目的地「丹頂の里」に着いた。記憶は定かではないのだが、何かのドキュメンタリーで見たのだと思う。丹頂鶴が一年中いてその優雅な姿を撮影できる場所が釧路湿原にある。その後テレビドラマ「池中玄太80キロ」(1980年)で紹介され有名になったが、僕が行ったころはあまり情報もなく、現地に着いて「丹頂鶴の写真が撮れるところ」を地元観光案内所で聞いてたどり着いたのだ。

ここまでは、買ったばかりの広角28ミリレンズが新鮮でレンズ交換をしていない。今でもそうだが、新しいレンズを買うと写欲が湧きどんどん写真が撮れる。この丹頂の里では北海道に来て初めて85-210ミリズームを付けて丹頂鶴を撮影していたのだが、210ミリでは望遠レンズとしてちょっと物足りなく思っていると、三脚に長玉を付けて撮影している方がいた。しかもペンタックスだった。確か500ミリだったと思うのだが、思い切って話しかけてみた。「望遠何ミリですか?覗かせてもらってもいいですか?」と尋ねると、僕のカメラを見て「良かったらカメラを付けて撮影して下さい」と勧めてくれた。願ってもない話なので是非とお願いすると、その方は三脚にレンズを付けたまま自分のボディをくるくると回転させてはずし三脚ごとレンズを貸してくれた。僕は自分のズームレンズをはずし、その方と交換した。三脚に固定されたレンズにボディを付けようとしたがそれが上手くいかずずいぶん手こずった。

タクマーレンズ
アサヒペンタックスはプラクチカマウントというスクリューマウントで、レンズを交換するにはボディを平らなところに置き、レンズ全体を掴んで一瞬力を入れて緩めその後3回転半回しレンズをはずす。付けるにはやはり平らなところにボディを置きレンズを垂直に立て3回半回し最後に力を入れて締め付ける。構造的にはネジを切ってあるだけなのでシンプルで、経年変化でマウントにガタがくることがない事が売りであった。他社のカメラは全て1/4回転ほどで交換できるバヨネットマウントで交換がスピーディーなことが売りであった。

500ミリの引き寄せ効果には感動し、鶴をアップで撮影することが出来たことには感謝しているのだが、その時スクリューマウントではとっさの時にすばやくレンズ交換が出来ないことに気付いた。それまでは標準レンズと望遠ズームレンズの2本しか選択肢がないので、目的に合わせてどちらかのレンズしか使っていなかった。レンズ交換に手間取ったことがこれ以上交換レンズは増やさず、何れカメラを買い換えようと決断をした瞬間でもあった。

結局、高校3年間は「ペンタックスSP」を使い続け、28ミリが僕の標準レンズになった。この3年間にコンテストに応募して賞品をもらったり、数々の傑作をモノにし、カメラマンへの道を志すことになる。
今思えば高校生活で有意義だったのは写真部の活動のみで、学校は面白くなく授業もつまらない、しかも女子がいないのに3年間1日も休まず皆勤賞を取れたのも写真部のおかげだと思う。
進学は漠然と報道関係に進める学科と思っていたが、3年生になって「写真学科」がある大学があることを知りそれを目指すことになった。

そのとき父に「浪人しないで大学に一発合格できたら、なんか入学祝いを買ってやる。だからがんばって勉強しろ!」と言われた。
「入学祝っていくらぐらい?」
「10万円!」
それが後に「ニコンF2フォトミック」になった。

そういえば「丹頂の里」の丹頂鶴の写真は1年の文化祭に全紙に引き伸ばして展示され、中学の時ひそかに好意を抱いていた女子が見に来てくれた。
暗室の酸っぱい臭いと共に、僕の高校時代の甘酸っぱい思い出になった。

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